【プロ野球】東野峻「子どもが物心つくまでユニフォームは脱げない」 (3ページ目)

  • 石塚隆●文 text by Ishizuka Takashi
  • 五十嵐和博●写真 photo by Igarashi Kazuhiro

 その後、4球団から誘われたが、すべて断りを入れた。東野は真っ先に連絡をくれたベイスターズに恩義を感じつつ、晴れて再びユニフォームに袖を通すことになった。ちなみに盟友の八木もトライアウトを経て中日への入団が決まった。

「DeNAには拾ってもらって感謝しています。決まったときは正直、また来年もユニフォームが着られるんだって、ホッとしました。なによりも球場に来ていた家族にすぐ報告できたのが嬉しかった。家内は良かったねと言ってくれました」

 東野にひとつ訊きたいことがあった。2010年には13勝し、2011年には巨人の開幕投手を務めたにも関わらず、ここ数年、輝きを失ってしまったのはなぜなのか? もちろん凋落した原因がわかっているぐらいなら改善したと思うが、あえて訊いてみたかった。

 すると東野はしばらく考え、口を開いた。

「今でも球威や技術は落ちてないと思うんです。だとすると気持ちの問題ですよね。昔は、『打てるもんなら打ってみろ!』って自信を持ってボールを投げていた。だけど開幕を任された年、相手チームのエースとばかり当って2カ月ぐらい勝ち星が付かなかったんです。3点取られたら勝てないという状態が続いて精神的につらかった。そうなると今度はいいところにボールを投げなきゃいけないと考え過ぎるようになってしまったんです。僕はコントロールよりも勢いで行くタイプなのに。どうしても狙っていくとフォアボールが増えて、ランナーをためて長打を食らうパターンが続いてしまう。原監督がいちばん嫌うことでしたし、それで調子を落としていってしまったという感じです。オリックスに行っても、結果を出さなければいけないというプレッシャーがあり、そこでも考え込んで気が滅入ってしまった。ここ3年間はずっとそんな感じでした」

 こう語る東野だが、一方で復活の手ごたえを感じている。

「フェニックスリーグで投げている時にインコースへの配球を多くしてもらったんです。これまでは外への球が多かった。それじゃ自分は生きない。昔はインコースに投げて、外れてランナーを出しても気にしなかったのに、いつの間にか弱気になってしまっていた。インコースへ投げられればストレートも外へのボールも生きる。結果的にフェニックスリーグではインコースでいい勝負ができたし、それがトライアウトでも生きました。僕は踏み込まれたら終わりのピッチャー。来年は厳しいところを強気で攻めていきますよ」

 東野は決してエリートではない。茨城・鉾田一高からドラフト7位で入団した叩き上げである。考え過ぎて、ギラギラした闘争心を失ってしまえば魅力は半減する。

「今になって、クビになって良かったなと思うんです。やっぱり僕は心に余裕があったりしたらダメなんですよ。クビになってどん底を見たけど、今はルーキーみたいな気持ちですからね。一度は這い上がったことがあるから頑張ることは苦にはならない。ただルーキーと違うのは、1年勝負だということ。いや、1年っていうのもダメで、キャンプインから半年で結果を出す。それぐらいの気持ちじゃないと……」

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