坪井智哉「死に場所を探しにアメリカに行ったんです」

  • 村瀬秀信●文 text by Murase Hidenobu
  • 甲斐啓二郎●写真 photo by Kai Keijiro

 坪井は日本球界からひっそりと姿を消した。それこそ“猫の死に際”のように。

 家族は日本に残し、カバンには必要最低限の野球道具と、メジャーの打席に立つという大きな夢だけを……いや、あとは職人級にこだわり抜いている珈琲(”坪井珈琲”という自身でブレンドした珈琲豆を販売している)のお気に入りのドリップセットを持って渡ったアメリカ。そこには、これまで経験したことのない、“野球”とは違う“ベースボール”が待っていた。
 
 2012年のウィンターリーグ。米独立・ノースアメリカンリーグのチームに招待選手として参加した坪井は、そこでリーグ2位の打率.483の成績を残し、契約を勝ち取るのだが、そこからは日米の“野球文化の違い”に振り回される。元々言われている生活は安月給で主食はホットドッグの長距離バス移動ぐらいは覚悟していた。しかし、ヒットを打てども打てども、1本のホームランには及ばない評価の基準。ランナーでスタートの偽走をすれば、「バッターの気が散るからやめろ」と怒られる。チーム最年長、上を目指して練習すれば『よくやるわ』と10代の選手に呆れられる。激しい競争原理の中、監督の理不尽な方針に干され、若手育成の方針に干され、さらには左肩の負傷で解雇。肉離れをしても解雇。チームの方針転換で解雇。挙句、球団が住居を用意してくれるはずの契約が、実際は何も用意されておらず、見かねたチームメイトの家に居候させてもらい、犬と寝床を奪い合う始末。契約不履行、代理人の怠慢、人間不信。純粋に“野球ができる”という喜びを感じる反面、心を折られる材料には事欠かない日々だった。

「この3年は、ホントに修業のような時間でしたね。よく“ベースボールと日本の野球は違うものだ”と言いますけど、独立リーグなりに意味がよくわかりました。本当に違う。違いすぎます。守備を重視しない、日本で僕らは少ないヒットでいかに点を取るか、その1点をどうやって守り切るかという野球をやって来ました。特に野村克也さんが監督のときなんて、そんな野球を必死になって頭に叩き込みました。ひとつでも先の塁を目指す、塁に出れば右打ちでランナーを進める……なんて考えない。全員『オレが打つ!』ですよ。さすが自由の国(苦笑)。ホームランを打てば勝つ。打てなければ負ける。繊細さとは無縁、ひたすら大雑把。まぁ、それが悪いとは思わないですけどね。それがここの野球なんだなってカルチャーショックを受けました」

 そんな日々のストレスを大好きなスイーツで慰めようにも、アメリカで目にするケーキの類は毒々しいカラーリングの砂糖菓子のオバケみたいな塊(かたまり)。……これも喜んで食べれれば幸せなのかもしれないが、残念なことに坪井はスイーツに関しても、かなりうるさいこだわりを持ってしまっている人種だった。

 野球が、契約が、食べ物が、すべてが雑、雑、雑……。坪井のストレスは頂点に達していることがわかった。
 
「正直、一体、オレはアメリカくんだりまで来て何をしているんだろうって考えましたよ。家がないんですよ。これは心底ヘコみますよ。今夜の寝床がないという不安が試合中にふと頭をよぎるんです。ああ、今日どうしようかな、今のオレは、浮浪者と何が違うんだろうかって。もうねぇ……この経験をどうやって笑いのネタにしてやるかなって、考えることぐらいしか心の平穏は保てないですよ。人生ではじめてですよ。鏡を見て、『笑わなきゃ』って思ったのは。すごい顔してんだもの」

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