有終V。秋山監督がホークスに植え付けた常勝のDNA

  • 田尻耕太郎●文 text by Tajiri Kotaro

 ソフトバンクの秋山幸二監督は、史上2人目()となる日本一を飾ってユニフォームを脱ぐ監督となった。胴上げは笑顔だった。10回、高々と宙を舞った。リーグ優勝とクライマックス・シリーズ(CS)制覇の時には、その歓喜の瞬間について、「あまり覚えていないな」とうそぶいた指揮官だったが、この日ばかりは「内川(聖一)から『10回も上げてもらう監督はいないですよ』と言われて......もう最高でした」と喜びに浸(ひた)った。
※1954年に中日の天知俊一監督が日本シリーズ優勝後に退任

4勝1敗で阪神を下し、3年ぶりの日本一に輝いたソフトバンク・秋山幸二監督4勝1敗で阪神を下し、3年ぶりの日本一に輝いたソフトバンク・秋山幸二監督

 常にギリギリの戦いを強いられたこれまでとは違い、日本シリーズのホークは本当に強かった。リーグ優勝はシーズン最終戦となる144試合目、しかも延長サヨナラで決めた。CSも最終戦までもつれ込んだ。しかし、日本シリーズでは初戦こそ敗れたものの、2戦目からは一気の4連勝。見事、地元・福岡での日本一を果たした。

「ノビノビやろう」

 日本シリーズ開幕の3日前、秋山監督のこの言葉によって、チームの雰囲気は一変した。10月22日、福岡市内の焼肉店で首脳陣、選手、スタッフによる決起集会が行なわれた。約2時間の宴の最後、締めの挨拶はやはり秋山監督だった。真っ赤な顔でゆっくりと立ち上がったが、その時すでに指揮官の目には涙が溢れていた。ここに至るまで、ナインが次々と秋山監督のもとにビールやマッコリを持ってきては、これまでの感謝の気持ちを述べ、さらに日本シリーズへの熱い決意を口にして、乾杯を交わしていた。普段はとにかく寡黙で口数の少ない秋山監督の涙に、チームの誰もが衝撃を受けた。そして秋山監督は、時折両手で顔を覆い、声を震わせながら、こう語りかけた。

「シーズン、CSは勝たなきゃならない。でも、日本シリーズは違う。自分をアピールしてほしい。『オレはここにいるんだ』『オレの野球人生はこれだ』。日本中が注目する中で、どんどんアピールしてほしい。勝ち負けの責任はオレが取る。みんなバーッと自分を出してほしい」

 いつものボソボソという話し方ではない。言葉に力が漲(みなぎ)っていた。

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