あれから20年。当事者たちが語る「10・8」の真実

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya
  • photo by Nikkan sports

 試合は初回から激しく動き、予想もできないようなプレイが次々に飛び出した。1回裏、中日は1番の清水雅治が二塁打で出塁するも、小森哲也がバントを空振り。清水は帰塁できず痛恨のタッチアウト。スコアボードに得点が刻まれたのは2回。まず、巨人は落合博満の本塁打などで2点を先制。しかしその裏、中日は中村のタイムリーで同点に追いつくと、巨人は早々に槙原をマウンドから降ろした。

「前日もよく眠れたし、落ち着いてマウンドへ上がれたんですけどね。清水に初球を二塁打にされて、『あれ、これはまずいぞ』と、自分を見失ってしまった。2回でマウンドを降りましたが、あの時は悔しさよりも安堵感の方が強かった。これでもう点を取られなくて済むというか、ゲームを台無しにしなくて良かった感じでした。やっぱりプレッシャーがきつかったんですね。あの登板以降は日本シリーズであろうとドキドキすることはなくなりました」(槙原氏)

「僕はそんなに緊張する方じゃないので、もうなるようにしかならん、という気持ちで当日を迎えた気がします。あの試合は頭が冴えていて、ほとんどすべての配球が読めた。今でも、1打席1打席を思い出せるぐらいです。でも、頭は冷静でもいつも以上に力みがあったんでしょうね。ほとんど打ち損じてしまった。結局ヒットになったのは、止めたバットにボールが当たってしまったやつだけでした(笑)」(仁村氏)

 実は「自分は冷静だった」という中村氏も、信じられないプレイでチャンスを潰している。2回に同点のタイムリーを放ったあと、清水が三振に倒れると、中村はアウトカウントを間違えて離塁し、憤死。この場面を振り返った仁村氏は、「緊張する中では起こりうることなんだけど、『なんでやねん』って思いますよね」と苦笑いを浮かべた。

 波乱につぐ波乱の展開に、さらなるどよめきを生んだのが選手たちのケガによる負傷退場だった。3回裏、一塁ゴロを負った落合が足を滑らせて転倒し、試合から姿を消す。8回裏には立浪和義が一塁へヘッドスライディングした際に左肩を脱臼。

「あの試合でいちばん記憶に残っているのは、落合さんと立浪のケガなんです。あれがシーズン中の普通の試合だったら、あんなケガは絶対にしません。落合さんなんて、淡々とプレイする姿しか見てなかったですから。スーパースターたちを無我夢中にさせる試合だったんです。みんな高校野球の感じを久々に思い出したんじゃないですかね。負けたらそこで終了というトーナメントの戦いを」(中村氏)

「野球はシーズンが長いので、選手たちはケガをしないように気をつけてプレイするんです。でも、あの試合に限っては、選手たちにそんなことを度外視させたんでしょうね。体はボロボロなはずなのに……」(槙原氏)

 しかし中村氏が言うには、あの試合だけは魔法でもかけられたかのように、疲れはまったくなかったという。

「だけど試合が終わってから2~3日は、まったく体が動きませんでした。消えていたはずの疲れがどっときました。当分、野球はしたくないという気分になりましたね」

 結局、試合は小刻みに加点した巨人が6-3で中日を下し、セ・リーグ優勝を飾った。

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