あれから20年。当事者たちが語る「10・8」の真実 (3ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya
  • photo by Nikkan sports

 そして槙原氏の記憶に今も鮮明に残っているのが、試合直前に長嶋監督が言った「みんなは思い切りプレイしてくれ。負けたら責任はオレが取る」という言葉だった。

「この言葉に勇気をもらいましたよね。あの時の長嶋さんは、いつもより声が大きかったし、なぜか笑顔だったんです。あの異様な雰囲気を本当に楽しんでいる感じでした(笑)」

“異様な雰囲気”――これも“10・8”を語る時によく出てくるフレーズだ。ナゴヤ球場には前日から徹夜組が約700人。当日の開門は試合開始が午後6時にもかかわらず、午前11時。試合を中継するフジテレビは、夕方6時からのニュースをほとんどつぶして、初回から試合を追いかけた。当時の映像からも、その異様な雰囲気が生々しく伝わってくる。

「僕は冷静でしたけど、緊張している選手は多かったですね。今でも試合前のいろんな選手の表情が蘇(よみがえ)ってきます。今中にしても、普段とは明らかに違う顔だった。ブルペンでもいつもより力が入っていたし。あと、みんなやたらと水分を摂っていましたね。トレーナーがクーラーボックスに何度も水を入れている光景を覚えています」(中村氏)

「普通、試合開始直後はお客さんもまばらで、みんな食事をしながら見ていたりするもんなんですけど、あの日はそういうのがまったくなかった。とにかく試合が始まる前から、選手たちの一挙手一投足を見逃さないぞ、という観客の視線が凄かった。野球って、試合が進むにつれて緊張感が高まっていくものじゃないですか。それが初回から、ひとつのファウル、ひとつの空振りで『ウワッー』と歓声が沸き上がるんです。そういうのは、あとにも先にもあの試合だけでした」(槙原氏)

 また、当時の巨人と中日は激しいライバル関係にあって、試合前の練習で相手の選手とあいさつを交わすことなど皆無。そうした背景も、試合を殺気立たせたひとつの要因だったのかもしれない。

「プロ野球の長い歴史の中で、巨人と阪神は伝統の一戦と呼ばれていますが、あの頃は巨人と中日がしのぎを削りあっていた時代。一触即発のムードになることがあったし、相手選手と会話してはいけない雰囲気がありました。そこへきて球場全体もピリピリしていたので、それが異様な雰囲気を増長させましたよね。そういう意味で、あの試合は“戦(いくさ)”のようなものでした」(槙原氏)

 中村氏も巨人と中日の関係については同じ考えだが、あの試合においては槙原氏の考えと少しニュアンスが違っている。

「あの時の監督は高木守道さんでしたけど、その前が星野仙一さんで、ずっと“巨人が永遠のライバル”としてやってきましたからね。言えるのは、相手が巨人でよかったということです。当時は、野球といえば巨人の時代でしたから。巨人が相手だったからこそ、あれだけ注目されたと思いますし……」

3 / 5

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る