2014.07.30

【根本陸夫伝】
広島を球団初のAクラスに導いた男

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Nikkan sports

 チームは4月下旬から7連敗を喫するも、その後5連勝と立ち直り、6月に入ると巨人を3タテするなど勢いづいて再び7連勝を記録。ついに、セ・リーグの首位に立つ。この年、揃って20勝を挙げることになる安仁屋宗八外木場義郎の両右腕の活躍が大きく、巨人とも互角の勝負を演じた。しかし衣笠には「強いチームになった」という実感はなかったという。

「悲しいですけど、当時の広島は巨人に勝つことで存在感が生まれるという、まだそういう時期でした。だから、トータルの戦力を考えた時は、優勝を狙う云々という時期ではなかったと思います。要するに、テレビの全国放送がある巨人戦で頑張って、広島というチームをアピールするという段階。それは弱さの裏返しであって、そういう状態ではペナントは獲れないです」

 弱さの表れか、7月にはオールスターをはさんで12連敗し、4位に下降。それでも最終的には3位に浮上し、球団創立19年目にして初のAクラス入りを果たした。

 前年まで年間30前後だった衣笠の試合出場は127に急増。打率は2割7分6厘、ホームランは21本をマークし、打点は58と急成長を遂げた。なにより、いきなり20本の大台を超えたのは驚異的だ。

「結局、目標としては20本だったんです。根本さんに『お前の売り物は何だ?』と言われてから、『20本のホームランを打つことだ』と自分なりに考えました。20本をクリアすれば試合に出してもらえるんじゃないか、というところまで追い込みました。いつの間にか、僕の頭の中がそうなるように、根本さんに引っ張られていたわけです。それで何とか、及第点はもらえる数字は残ったかなと。だから、『20本打てたから嬉しい』ではなくて、『やっとクリアできた』という印象しかなかったです」

 明けて69年の初頭。雑誌『潮』3月号に根本と松田恒次オーナー(誌面上の肩書きは東洋工業取締役社長)の対談記事が掲載された。当初は「130試合、全部負けてもいいんだ、将来につながる強いチームをつくってくれ。5年後には天下を取る」と言っていたオーナーだが、実際にはもっと高い目標を設定していたことが、この記事で明かされた。冒頭、ふたりはこんな対話をしている。

根本 監督になって1年目に最下位から3位になったということで、いろいろ言われるけど、社長から出された目標は「優勝を狙って出発せい」ということだった。

松田 そら、監督としてチームをあずかった以上、やっぱり優勝せにゃいかん。

根本 それで「1年目のいろんな態勢を、基本的なものにのっとって組んでみい」ということで、やってみた。その結果が3位。しかし、あくまでも優勝を目標に出発したので、去年は地ならしみたいなものだった。それが、たままた3位といういい結果が出たけど、本当の出発は今年だと思っています。

 根本が「本当の出発」と位置づけた1969年、はたしてその結果は......。

(=敬称略)