職人たちが作り出す甲子園「もうひとつのドラマ」 (3ページ目)

  • 高森勇旗●文 text by Takamori Yuki
  • 岡沢克郎●写真 photo by Okazawa Katsuro

 弱冠20歳にして飛び込んだ「甲子園のグラウンドキーパー」という世界。そこは想像を遥かに超える"職人の世界"だった。

「高校の時は、職員の方から『ケンちゃん』って呼ばれていたのが、『金沢』に変わりました。先輩たちは、現場でも事務所でも、誰もひと言もしゃべらない。あのピリピリした緊張感は、いま思い出しても涙が出そうになるくらいつらかった」

 手取り足取り、口頭ではほとんど教えてもらえない中で、金沢氏にできることといえば、とにかく見て覚えることだけだった。そこから26年間、ひたすらグラウンドを整備し続け、今では甲子園のグラウンドキーパーの責任者にまでなった。金沢氏は鋭い職人の目を少し柔らかくすると、肩の力を抜いて語りだした。

「でもまぁ、そんなたいそうなものじゃないんです。僕なんて、普通の人間ですから。プロのアスリートと違って、誰にでもできることです。それが、最近はおかげさまでファンの人なんかにも『お疲れさま』とか『ありがとう』とか言ってもらえるんですよ。そんな言葉をかけてもらえるなんて、おこがましいですよ。僕よりしんどい仕事している人、この甲子園にはいっぱいおるのに......」

 取材を終えると、金沢氏はグラウンドへと戻っていった。空っぽの甲子園に、木製の整備道具が土の上を滑る音が響く。丁寧に丁寧に、会話をするように土をならす金沢氏の目は厳しさと優しさが同居し、それはまるで親のようであった。黙々と整備を続ける金沢氏を眺めていた私の頭に繰り返されたのは、金沢氏が最後に言った言葉である。

「言うても、甲子園があるからなんです。甲子園という場所は特別じゃないですか。この甲子園で働いているみんなが、甲子園に憧れて、甲子園で働くことに誇りを持っているんじゃないですかね。仕事を超えた何か特別なものが、この甲子園にはあるんでしょう」

「甲子園には魔物が棲む」と誰かが言った。魔物に取りつかれるのは、何も選手だけに限ったことではない。甲子園のグラウンドには、文字通り「ドラマ」が落ちている。今後、甲子園で野球を観戦する際は、グラウンドに目を向けてみるというのも、新しい観戦の楽しみ方かもしれない。

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