68歳の打撃投手。ロッテ・池田重喜の裏方人生 (4ページ目)

  • 高森勇旗●文・写真 text&photo by Takamori Yuki

 丁寧にひとつひとつ話す池田の目は、これまで一緒に暮らしてきた選手をひとりひとり思い浮かべているようだった。取材が始まってからどれだけの時間が経っただろうか、ここにきてやっとコーヒーが出ていないことに気付き、大慌てで準備をしにロビーへと走って行った。カップをふたつ持って帰って来た池田は、今度は寮長という仕事について、ゆっくりと、丁寧に語ってくれた。

「練習や試合はもちろん、生活までずっと見ていると、心の変化がすぐにわかるんですよ。落ち込んでいる選手がいたら、一緒に風呂にでも入って、裸の付き合いじゃないけど、いろいろと話を聞いてあげることで気がまぎれてくれたらいいなと。それで、一軍に上がって活躍したりすると、寮でお祝いしたりね。そうやってみんな成長していく姿を見るのが、やっぱり楽しいんですよ」

 プロ野球という世界も、昔とは大きく違ってきた。トレーニングも日々進化し、選手寿命は格段に延びた。投手は中6日で投げるようになりアイシングはもはや常識となった。そして、金のネックレスにサングラス、セカンドバッグにダブルのスーツというプロ野球選手お決まりのファッションも絶滅した。野球を取り巻く環境は大きく変わっていくが、池田の選手を思う気持ちは裏方となった38年前から変わることはない。

 第1回ドラフト会議で指名された池田だが、そのドラフト会議も今年の秋には記念すべき50回目を迎える。今年も、将来を嘱望された選手たちがロッテに指名されることだろう。そしてまた、池田にとって孫のような年齢の選手たちが入寮してくる。プロの厳しさを説き、練習の相手をして、寝食を共にし、たまには風呂で悩みを聞いてやる。そうやっていつしか自分の手から離れ、スター選手へと成長していく。そのたくましくなった背中を眺めながら、やはり池田はニコニコしているのだろう。なるほど、あのシワはそうやって刻み込まれてきたんだ。と、ふと思った。

 駅へと向かう途中、風に乗って球場のアナウンスが聞こえてきた。試合はもう終盤に差し掛かっていた。5月の空は、プロ野球の舞台で必死に戦う選手たちの想いを吸い込んで、どこまでも高かった。

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