2014.06.10

【根本陸夫伝】
高校を中退させて「18歳の4番打者」を作った男

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Nikkan sports

根本は「18歳の4番打者」として土井を売り込んだ

 土井が入団した当時の近鉄の監督は、巨人の名二塁手として活躍し、「猛牛」と呼ばれていた千葉茂。その異名にちなんで、千葉が監督となった1959年に近鉄パールスから近鉄バファローズになったのだが、就任以来2年連続最下位と低迷していた。

「根本さんが千葉さんに『土井は大型バッターだから』と言ってくれたみたいなんです。ところが、千葉さんはバットを短く持ってコツコツ打つアベレージヒッターですから、『あんなにバットを振り回しているようじゃアカン』と言われて、試合で使ってもらえなくてね。それで僕もふて腐れてしまって……。根本さんは『頑張っとけばいいことがあるから』と励ましてくれました」

 チームが3年連続最下位となって千葉が辞任すると、パ・リーグ初代本塁打王である別当薫が監督に就任。別当は土井の素質を見抜き、一軍で練習させるようにコーチに指示。また、根本もスカウト活動を続けながら、コーチに就任することになった。そこで根本は別当に「土井にはこういういいところがあるから、別ちゃん頼むよ」と進言し、土井本人には「この人ならお前を育ててくれる」と励ました。

「別当さんと根本さん、僕はふたりに育ててもらったんですよ。いろんな欠点に目をつぶってもらって……。しかも、シーズンオフの間に“18歳の4番打者”って売り込んでもらったんです。僕は17歳でプロに入って、12月生まれだから、2年目の11月までは18歳なんです。いま振り返ると、ハッタリみたいなもんやけど(笑)」

 負けることに慣れてしまったチームだっただけに、若い選手を抜擢してチームに刺激を与える必要があった。その一環として、根本はマスコミを利用し、“18歳の4番打者”として土井を売り出した。別当はオープン戦で土井を4番で起用し、公式戦はおもに6番か7番。そうして2年目の土井は打率.231、5本塁打、43打点と成績こそ目立ったものではなかったが、129試合に出場した。

「僕にとって助かったのが、根本さんがコーチになったことです。肩書きは打撃コーチでしたが、特にバッティングを教えるわけではなく、自分がスカウトして入団してきた選手が迷わないように道をつけてくれました。大学や社会人出身の選手は、ある程度、プロとはどういう世界かわかりますけど、高校から入ってきた選手は右も左もわからないでしょ。そこで迷わないようにしてくれたのが根本さん」

 根本コーチの技術指導で土井が覚えているのは、スローイング。「しっかりトップを作って投げなさい」ということだけ。すなわち、根本の教えは「投げるのも打つのも基本は一緒」というものである。しかし、それ以上に土井が忘れられないのは、根本の鉄拳だった。

つづく

(=敬称略)