遅れてきたBIG3。中日・濱田達郎「偶然」の野球人生 (2ページ目)

  • 安倍昌彦●文 text by Abe Masahiko

 偶然始めた野球だったが、それでもメキメキと頭角を現し、地元ではちょっとした有名選手になった。そして強豪校の愛工大名電に進学し、高校3年の春にセンバツに出場。エースとして奮投し、ベスト8まで勝ち上がった。

 スリークォーターから放たれる140キロを超すストレートを武器に、スライダー、カーブ、フォークを両サイドに投げ分けた。春先のこんな時期にこんなピッチングされたら、そうは打てるものじゃない。

 しかし、その夏――。大阪桐蔭の藤浪晋太郎(現・阪神)、花巻東の大谷翔平(現・日本ハム)とともに"BIG3"と称され、高校ナンバーワン左腕の称号を手にした濱田だったが、甲子園初戦で浦添商打線に打ち込まれ敗退。

 春に比べると、角度がなくなり、フォームも躍動感を失い、勝負球のスライダーは切れず、ストレートの制球も欠いた。それ以上に、マウンドでの冴えない表情を見て、伝え聞いていた「左肩痛」よりも彼の「内面」を心配してしまった。

「もともと、そんなに野球をやりたかったわけじゃないんで......」

 もちろん、そんなセリフが彼の口から出たわけじゃないが、試合後の囲み取材での彼の横顔に「逃げ」の気持ちが見えたのは、こちらの邪推だろうか。

 そんな濱田が、プロ2年目のこの春、急激に力をつけてきた。開幕こそ二軍スタートとなったが、すぐに一軍に上がり中継ぎで好投。そこに転がり込んできた川上憲伸の代役。登板直前の腰痛で先発を回避した川上の代わりに先発のマウンドに上がった5月7日の阪神戦で、あろうことか、濱田はプロ初先発、初完封の快挙を成し遂げた。

 その後のDeNA、ソフトバンク戦でも勝利を挙げ、6月3日のロッテ戦でも白星こそつかなかったが、しっかり試合を作り、先発としての役割を果たした。6月8日現在、3勝0敗、防御率1.97と快進撃を続けている。

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