遅れてきたBIG3。中日・濱田達郎「偶然」の野球人生

  • 安倍昌彦●文 text by Abe Masahiko

 以前、中日の左腕・濱田達郎のお母さんとお話をする機会があった。その時の話が面白く、今でも強く印象に残っている。それは、濱田が野球を始めるきっかけとなった話だった。

昨年はファームで20試合に登板し、2勝8敗、防御率6.39だった濱田達郎。昨年はファームで20試合に登板し、2勝8敗、防御率6.39だった濱田達郎。

 達郎少年、小学校5年の冬のこと。3歳下の弟がクリスマス・リーフを作るのに、その材料となるドングリとマツボックリが必要となり、達郎少年が公園に連れて行って一緒に探してあげたのだという。最初に行った公園にはドングリしかなく、別の公園にマツボックリを探しに行くことになった。そこで、たまたま野球をしていた仲良しの友達とバッタリ出会って......。

「最初に行った公園にマツボックリがあったら、あの子、絶対に野球をしてなかったと思います」

 お母さんの口ぶりに確信があった。

 家庭環境も"野球"の影は薄かった。

「私、野球、大嫌いなんです。ほら、私たちの世代って、小さい頃、夜になるとナイターを見るお父さんにテレビを占領されて、見たいドラマとか全然見られなかったじゃないですか。恨みは深いんです(笑)」

 達郎少年も野球に関心がなく、当時の子どもにしては珍しく、ルールも知らなかったという。なかば強引に引きずりこまれた少年野球。最初は三塁に向かって走っていたぐらいだった。

 3人兄弟の真ん中で、いちばん手をかけられなかったのに、いちばん優しい子に育ってくれたと、お母さんが笑っていた。

「母(達郎の祖母)を介護していた頃は、私たち家族が2階に住んで、母が下で寝ていたんですけど、夜中に下から『お水~』って声が聞こえると、達郎がバタバタ~って降りて行って、母にお水をあげているんです。いつも気にしながら寝ていたんでしょうね」

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