田中将大を大エースへと導いた「プロ2年目の失敗」 (3ページ目)

  • 益田佑一●写真 photo by Masuda Yuichi

 でも、それって不思議なことですよね。マー君の方が、ふたりより球速があるのに痛打されてしまう。それは、ふたりは変化球をうまく使った配球をしていたからなんです。例えば、「変化球が来るのではないか?」と打者に思わせてストレートで勝負する。ストレートを待っている打者にストレートを投げたって打ち取ることはできません。プロの打者は、いくらマー君のストレートが速いといっても、簡単に捉えてしまいます。力任せでは打ち取れません。

 キャッチャー陣は野村監督から「マー君は変化球ピッチャーなんだぞ」と言われ続けました。もちろん、彼の実力があったからですが、マー君のストレートを生かす配球を、嶋基宏を中心とした楽天の捕手たちが徹底したからこそ、1年目から11勝を挙げ、新人王を獲得するまでの成績を収めることができたのではないかと思っています。

 そして迎えた2年目、マー君は大きな失敗をしたのです。「ストレートが打たれる=球速が足りない」という考えから、球速を上げることを第一にキャンプから取り組んでいたのです。その通り、フォームに力感が出て、球速も2、3キロ上がりました。ここまでは彼の思い通りなのかもしれないですが、力を入れすぎて投げる分、コントロールが甘くなってしまった。スピードというテーマにとらわれすぎてしまったため、ストレートの精度が悪くなってしまったんです。

 結局、その年は北京五輪で一時期チームを離れたとはいえ、9勝止まり。楽天時代、マー君が唯一、2ケタ勝利できなかったのが2年目の2008年なんです。力任せのストレート主体の配球では、彼の良さを引き出せないということです。

 昨シーズン、24勝0敗という伝説を作ったマー君。日本シリーズでもストレート、スライダー、スプリットを中心に巨人打線を苦しめました。僕も巨人のブルペン捕手として日本シリーズに参加していましたが、ある時に疑問が生まれ、(村田)修一に聞きに行ったことがありました。第2戦でマー君が毎回の12三振を奪い、3安打1失点で完投勝利を挙げたあとのことです。

「修(村田)さぁ、田中のスプリットって結果的にはボール球だよね? それをみんな空振りしていた。スプリットとわかって、バットを止めることはできないの」と。

 そうしたら修一は、「(中谷)仁さん、無理です。スイングするまで真っすぐに見えるんだから」と即答してきました。これを聞いて、マー君の変化球を打つことがいかに難しいかがわかりました。マー君の球は、ストレートも変化球も、簡単に打者が対応できないものになっていたのです。

 スピードへのこだわりを捨て、コントロールや変化球の精度を高めようとしたのが3年目のことでした。球速を上げようとしていた取り組みをやめ、制球を重視するフォームに戻した。しかしその結果、球速が上がったのです。つまり、コントロールをつけるということは、いい体のバランス、いいフォームで投げなければいけない。力任せではなく、自然なフォームで投げられるようになったことが、球速アップにつながったのです。2年目の失敗があったからこそ、今の田中将大があるんです。

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連載>ブルペン捕手・中谷仁が見た「超一流エースたちの流儀」

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