2014.04.30

死後15年。今も野球界に色濃く残る「根本陸夫の遺産」

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Nikkan sports

 根本は93年に西武を退団し、ダイエー(現・ソフトバンク)の代表取締役専務兼監督となる。この年は最下位に終わるが、同年オフ、佐々木誠、村田勝喜、橋本武広を放出し、西武から秋山幸二、渡辺智男、内山智之を「世紀のトレード」で入団させる。ドラフトでもこの年から採用された逆指名制度で渡辺秀一、小久保裕紀を獲得。その後も、94年オフに王貞治を監督に招聘し、ドラフトでも井口資仁、城島健司、斉藤和巳、松中信彦、柴原洋ら、のちの黄金期の中心となる選手を次々と獲得した。

 その辣腕ぶりから「球界の寝業師」とも呼ばれ、特に有望新人獲得の手段をめぐっては、球界内で問題になることもあった。

 だが、いずれも前身球団から低迷していたライオンズとホークス、ふたつのチームに実力と人気をもたらし、パ・リーグひいては球界全体を好転させたという意味で、根本は「日本プロ野球に革命を起こした男」と言える。

 99年1月、根本はダイエーの球団社長へと上り詰めたが、同年4月30日に72歳で急逝している。以来15年が経ったこともあり、20代、30代の野球ファンにはピンと来ない名前かもしれない。

 しかし昨年、さらには今年のパ・リーグもそうであるとおり、根本の「遺産」は時を経て風化するどころか、今でも確かな影響を球界に与えている。まして「遺産」は監督に限らない。根本が存在した時代の西武、ダイエーにいた人間が各球団に分散して、フロント、コーチとして活躍しているのだ。なかでも特筆すべきは、昨年オフに中日に復帰した落合博満GM、森繁和ヘッドコーチである。

 森は中日退団後に刊行した二冊の著書のなかで、自身の西武での現役生活およびコーチ人生が、根本の指導によって成り立ったことを強調している。しかも根本と落合には接点があり、あるとき、「いずれ監督になったら森をコーチで使うと面白い」という意味の助言をされたという。森はこう書いている。

<根本さんは、鉄拳も振るえば、とことん面倒も見る親分肌の指導者であり、GMであり、参謀だった。根本野球を学んだ私に、鉄拳禁止の選手操縦を約束させたのが、落合監督。その落合監督に私を推薦していたのが根本さんなのだから、不思議な因縁を感じる。いや不思議ではなく、私も落合監督も根本さんの手のひらでうまく踊らされたのかもしれない。>(講談社刊、著者・森繁和、『参謀―落合監督を支えた右腕の「見守る力」』より一部抜粋)

 8年間でリーグ優勝4回、日本一1回、常にAクラスをキープし続けた落合中日。強いチーム、勝てるチームには、まさに根本の「遺産」が生きていたと感じられるのだが、なぜ、「遺産」は今でも影響力を持つのか。なぜ、革命を起こせたのか。そして、根本陸夫とはどういう人間だったのか――。
 
 残念ながら、筆者である私は、生前の根本に会うことはできなかった。野球雑誌の企画で往年の名選手たちに話を聞き、球史を掘り起こす連載を始めた矢先に帰らぬ人となってしまった。

 ただ、学生時代から根本の親友であった関根潤三(元ヤクルト監督)を筆頭に、広島監督時代に仕えた安仁屋宗八、外木場義郎、根本スカウトに誘われて近鉄に入団した土井正博、西武のスカウトだった毒島章一、その他何人もの野球人から聞く思い出話に惹きつけられた。本人には会えなくても、野球人が語る逸話を通して、今に生きる「遺産」を伝えられるのではないか。そう考えて、『根本陸夫伝~証言で綴る、「球界の革命児」の真実』として連載を始めることになった。

つづく

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