谷繁元信「屈辱の時代のおかげで僕は16年連続Aクラスになれた」

  • キビタキビオ●構成 text by Kibita Kibio
  • 五十嵐和博●写真 photo by Igarashi Kazuhiro

―― 横浜時代、おふたりに共通するキャリアとしては、ちょっと失礼な言い方になりますけど、1998年の日本一が一番のピークになりますか?

谷繁 いや、ピークですよ。その1回しかなかったですから(笑)。でも、あの時って、野村さんもひとつ違いで同世代でしたし、優勝した年にはもういなかったけど、野村さんと同級生の盛田さん(幸妃)とも前の年まで一緒にやっていて、あと僕と同級生の石井琢朗や井上純でしょ。それに、波留(敏夫)が社会人から、佐伯(貴弘)も大学を経て入ってきた。最初は弱かったけど、同じ世代でちょっとずつ強くなって、やっと優勝できたというのがありました。だから、プロで25年間やってきた中で、一番うれしい優勝でしたね。弱いときから一緒にやってきたメンバーだったので。

野村 選手がそのまま力をつけて脂が乗ってきて優勝という形だったからね。こう言ってはなんだけど、入った頃の大洋は弱かったからなぁ。

谷繁 最初の頃、勝てると思いました(笑)?

野村 でも、誰かしらタイトルは獲っていたんだよね。あれは不思議だった。だけど、順位はビリ。それが、優勝した前の年の1997年に2位になって。新しく入ってきた人って、駒田さん(徳広)だけだったと思うんだけど。

谷繁 あと、中根(仁)さんと、阿波野(秀幸)さんくらいかな。主力メンバーはほとんど生え抜きでしたよね。

野村 その意味では、自分たちで勝ち上がったという印象だった。僕は優勝したのは、後にも先にもあの1回だけだけど、やはり嬉しかったよ。優勝した翌年以降は、シゲが横浜を去る2001年のシーズンまで3年連続で3位だったから、チームの順位としてはまずまずだったけど。

谷繁 そうなんですよ。だから僕、1997年以来、ずっとAクラスだったんですよ。それが昨年4位になって、17年ぶりのBクラスです。やっぱり勝たないとダメですね。今年はこの悔しさを何としても晴らしたいですね。

野村 期待しているよ。

次回に続く

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