谷繁元信が今だから語る「監督就任と組閣の舞台裏」

  • キビタキビオ●構成 text by Kibita Kibio
  • 五十嵐和博●写真 photo by Igarashi Kazuhiro

谷繁元信×野村弘樹 対談(1)

 2014年のプロ野球で注目を集めるのが、落合博満ゼネラルマネージャー(GM)との新体制でスタートを切る中日ドラゴンズの谷繁元信選手兼監督だ。12年ぶりにBクラスに転落したチームをどう立て直すのか。横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)時代にバッテリーを組んだ野村弘樹氏との和やかな対談の中で、その意気込みについて語ってもらった。

横浜ベイスターズ時代はバッテリーを組んでいた野村弘樹氏(左)と谷繁元信選手兼監督。     撮影協力/ぐらすうっど(横浜市青葉区)横浜ベイスターズ時代はバッテリーを組んでいた野村弘樹氏(左)と谷繁元信選手兼監督。     撮影協力/ぐらすうっど(横浜市青葉区)

── まずは、監督就任からこれまでの話を改めて振り返っていただきたいと思います。最初に打診が来たときはどのような心境でしたか?

谷繁 正直なところ、球団からは9月の終わりくらいに「もしかしたらあるかもしれない」という話がありました。最終的に正式な連絡が来たのはシーズン最終戦の前の晩でした。その時は、「マジで来たな」という感じでしたね。

野村 1年前のオフに一緒にゴルフをした時、「シゲ(谷繁)もいつかは(監督を)やらなきゃならないだろ。もう、名古屋人だもんね(笑)」という話をしたけど、まさかその翌年とはね。

谷繁 僕が思い描いていたのは、もう1年くらい現役をやって辞めるつもりだったんですよ。そして、何年後かにもし監督として声が掛かった時には、ちゃんとできるように準備しておきたいな、という考えでした。でも、昨年は色々なことが重なりましたから。

野村 発表のあとは、ドラフトやコーチの組閣などがあって大変だったんじゃない?

谷繁 いや、大変ということはなかったです。やらなくてはいけないことを、ひとつひとつこなしていくという感じで。今までは選手だけだったので、気になることがあっても「それは球団の仕事」と流していたのですが、それができなくなりました。あとは、ドラフトの前にスカウト会議に参加して、指名候補を決めるような仕事は初めてでしたし、こういうことを全部やらなきゃいけないんだな、と。

野村 今までチーム作りに携わるということがなかったしね。

谷繁 それより何が大変って、人前であいさつをするのがいちばん大変です。あらゆるところであいさつをしないといけないでしょ。そのときに権藤(博/1998~2000年、横浜監督)さんが監督だった時のことを思い出したんですけど、あいさつは短かったじゃないですか? シンプルだけど、あれはちょっと短すぎるかなと(笑)。でも、ああいう場で2、3分しゃべろうとすると結構長いですね。まあ、数をこなしていけば、そのうち慣れるかな? とは思います。

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