松井裕樹だけでなく......。甲子園で輝いた「背番号1」のプライド (6ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • 大友良行●写真 photo by Ohtomo Yoshiyuki

 エースが、たったひとりで投げ切る――このフレーズには、いけないとわかっていても、つい引きつけられてしまう。まして板東のように、華奢な体と美しいフォーム、さらには凛々しい表情でマウンドを守るエースに出会うと、正直、ロマンを感じてしまうのだ。

 高校野球にも球数制限が必要だ、複数のピッチャーで戦うべきだという声が根強い背景には、将来、そのピッチャーはプロ野球選手になるかもしれない、という前提がある。だとすれば、確かに高校の時に無理する必要はないという考え方は理解できるものの、4000もの高校があって、その中でプロ野球選手になれるエースが何人いるのか、大学や社会人で野球を続けられるエースがどれだけいるのかという現実もある。そんな中で、甲子園にすべてを賭けたいと考える高校生 の気持ちもわからなくはない。板東はこう言った。

「最後の夏が終わってから、キャプテンに『おまえがおっての、このチームだった』と声をかけられた時は、嬉しかったですね。自分ではずっと、『別に俺が投げたから勝ちようわけじゃないし』みたいな感じがあったんです。それが、みんなから『おまえがおったけん、ここまで勝ててきたんだし、甲子園でもおまえが投げたけん、勝てたんじゃ』って言ってもらえて、その時に初めて実感しました……ああ、自分がエースだったんだなって」

 板東は、夏の甲子園で何度もスコアボードを見ていた。

 ぼんやりと、スコアボード全体を眺めることで、気持ちを落ち着かせようとしていたのだという。

「空が青くて、旗が風になびいていて……スコアボードを見ると落ち着きました。深呼吸するみたいな感じですね(笑)」

 2013年の夏、たったひとりでマウンドを守り抜き、甲子園のマウンドに立った5人のエースたち。その中で、最後まで勝ち残った鳴門の背番号1、板東湧梧。彼は卒業後、社会人の強豪、JR東日本に入社する。

 ピッチャーとしてのリスクを避け、チームとして早々に負けていたら、板東に次の舞台は用意されなかっただろう。すべては結果論なのかもしれない。しかし、板東はひとりで投げ抜き、甲子園でベスト8まで勝ち進んだことで、次のチャンスをつかんだ。

 それもまた、高校生を取り巻くひとつの現実なのである。

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