沢村賞投手・斉藤和巳「もうボールを握りたくないほど、野球をやり切った」 (3ページ目)

  • 田尻耕太郎●文 text by Tajiri Kotaro
  • 繁昌良司●写真 photo by Hanjo Ryoji

 でも、一度でもユニフォームを脱ぐことをイメージしてしまった以上、今年は今までにない覚悟をもってやると決めていました。支配下登録期限の7月31日を目標にやってきました。期限が迫るにつれて、焦っていましたね。痛み止めの薬を飲んだり、注射を打ったり、とにかくもう一度投げるためにいろんなものにしがみつきました。その時点でアウトなんですけどね。でも、その時は無我夢中。体にも肩にもいいわけがないと分かりつつも、投げたいという気持ちが勝っていました。引退を決意するまでの2カ月はそんな感じで、これまでにないぐらい集中していました。

 引退を決断したのは7月の中旬。どう考えても、31日には間に合わないと。正直、辞めるのが怖かった自分もいました。小学校1年生で野球を始めて、それから30年間野球だけしかして来なかったですから。すごく不安でした。でも、このままズルズル続けたら、今までの自分を否定してしまうと思ったんです。その方が、悔いが残るだろうし、後悔すると思いました。

 最初に報告したのは妻でした。一瞬びっくりしたような顔をしていましたが、「これでやっと旅行に行けるね」と言われて……逆にそのひと言で「ハッ」とさせられたというか、救われました。

 そういえば先日、ある取材で前田智徳さん(今季限りで広島を引退)とお会いした時に、その話をしたらすごく共感してくれました。「ケガをしている人間はオフが一番きつい。その時期に誰よりも練習をやらないといけないから、オレも旅行なんてしたことがない」って。それを聞いて安心したというか、自分のやってきたことが間違いじゃなかったんだと思うことができました。

 それで10月に妻とふたりでアメリカに行ってきました。ラスベガスに行って、それから車で5時間かけてアリゾナへ。パワースポットで有名なセドナにも行きましたし、アリゾナは自主トレやリハビリをしていたこともあって、お世話になった方々が何人もいたので、サプライズで会いに行き、引退の報告をしてきました。野球のことを考えずに旅行するのなんて、プロ野球選手になって初めてだったので、心から楽しめました。

 おかげで今は清々しい気持ちです。野球をやりたいとはまったく思いません。本当にそれが一番ありがたい。子どもの頃から、3日も野球から離れたら、なんかウズウズしていましたから(笑)。引退を決意するまではそうでした。

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