2013.12.23

取得まで最短7年。メジャーに近づいてきた日本のFA20年史

  • 津金一郎●文 text by Tsugane Ichiro photo by Nikkan sports

design by Unno Satorudesign by Unno Satoru  また、2011年には、初めて外国人選手による国内FA移籍も生まれた。2000年に西武へ入団した許銘傑が、2011年に国内FA権を取得。シーズンオフにFA宣言してオリックスへ移籍した。国内FA権を取得した選手は外国人枠が適用されないため、2012年から登録上は日本人扱いになった。

「出場機会」を求めて移籍する選手がいる一方、「優勝争い」を求めてチームを変わる選手もいる。95選手がFA資格を持ち、8年ぶりにふたケタの11選手がFA宣言した2010年オフ、目玉となったのがBランクの内川聖一(横浜)だった。このシーズンまで3年連続3割をマークしていた「安打製造機」に対して、広島が球団史上初めてFA選手の獲得に乗り出して3年6億円を提示。しかし、内川は「優勝したい」と、4年最大12億円を提示した地元・九州の福岡ソフトバンクへの入団を決めた。また、2002年以降は3位が1度あるだけで、それ以外のシーズンはすべてBクラスの横浜からは、2011年にも村田修一が優勝を求めてFAで巨人に移籍した。

 その横浜で記憶に残るFA宣言と言えば、2008年オフの三浦大輔だ。2002年からの7シーズンで5度の最下位というチームにあって、孤軍奮闘を続けたエースに球団は3年8億円で残留を求めた。一方、獲得を狙う阪神の提示額は3年10億円。関西出身の三浦が常に優勝争いをする阪神に移籍するのは、濃厚と見られていた。しかし、「ハマの番長」が12日間悩みに悩んだ末に出した結論は、「強いチームに勝ちたい」。球団事務所で行なわれた会見では、男気あふれる残留宣言に涙ぐむ球団職員の姿さえあった。

 FAは長い歴史の中で選手が勝ち取った権利である。しかし、「他球団からの評価を聞いてみたい」と宣言するには、リスクも伴うものだ。2009年に日本ハムからFA宣言した藤井秀悟は、この年22試合に登板して7勝5敗、防御率3.53。日本シリーズ第5戦では、巨人打線に対して7回無失点と好投していた。しかし、宣言後に獲得を名乗り出る球団はなく、日本ハムも再契約を拒否したため、一時は所属球団がなくなる危険性があった。結局は巨人に拾われる形で6000万円+出来高(前年の年俸7000万円)で、ようやく移籍先が決まった。

 2012年オフ、古巣・オリックスに年俸1億5000万円+出来高の2年契約で復帰した平野恵一も、FA宣言で行き場を失いかけた選手だ。2012年は阪神で134試合に出場したが、打率.245、24打点、1本塁打に終わり、8月以降はセカンドのポジションも失った。阪神からは2000万円ダウンの年俸1億7000万円の1年契約を提示されたが、複数年契約を臨む平野との溝は埋まらず、3度の契約更改交渉は決裂。その後、FA宣言して臨んだ阪神との再交渉では、西岡剛の獲得が決まったこともあって、提示内容は過去3度の交渉時よりも大幅に下回った。そうした中、当初は「平野の獲得はない」と名言していたオリックスが、急遽方針を転換したことで古巣に復帰することとなった。