FA制度、11年目のルール改正が選手の野球人生を変えた (2ページ目)

  • 津金一郎●文 text by Tsugane Ichiro photo by Getty Images

design by Unno Satorudesign by Unno Satoru また、選手として脂の乗った30歳前後でFA権を手にできるようになったことで、多くの選手たちがメジャー移籍を実現させることになった。2005年に29歳だった城島健司(ソフトバンク)が日本人捕手として初めてメジャーリーグに挑み、2006年に岡島秀樹(日本ハム)、2007年に福留孝介(中日)も、30歳で野球発祥の国へと旅立った。

 その一方で、メジャー挑戦を目指してFA宣言しながらも、道半ばであきらめる選手もいた。2004年オフの巨人・仁志敏久、ヤクルト・稲葉篤紀は、メジャー移籍を目指して大物代理人と契約して着々と準備を進めていた。しかし、メジャーリーグは12月上旬に開催される4日間のウインターミーティングを皮切りにして、アメリカ国内の大物選手からFA移籍やトレードの交渉がまとまっていく。メジャー移籍を目指す日本人選手の動向が決まるのは、年明けというケースが多い。そのため、最悪の場合は所属球団が決まらないままキャンプインを迎える危険性もはらむ。仁志は、「来年1月後半に決まるか、決まらないか。待っていても希望に沿ったオファーが来るかどうか確実ではない。現時点で一番必要とされているところに行くことが最良の選択」と、2年4億円で巨人に残留を決めた。一方の稲葉も、「年俸が下がっても、夢を追いたい」と、ヤクルトからの2年2億円を蹴って2月下旬まで待ったものの、望むようなオファーは届かずに海外移籍を断念。春期キャンプ中の2月23日に、年俸6000万円で日本ハムと契約することになった。

 対照的に、黒田博樹(広島)のようにメジャー球団からFA宣言を熱望された選手もいる。黒田は2006年にFA権を取得すると、シーズン終了後に宣言するかどうか悩んでいたが、残留を望むカープファンの熱い気持ちに心を動かされ、FA宣言せずに「4年12億円+生涯保障+指導者手形」で広島との契約を更改。しかし翌年、32歳となった黒田は、契約期間中でも海外移籍のためのFA権行使が認められていたこともあって、メジャーリーグ挑戦を表明した。「年齢的なものもあるし、もうワンステップ、野球人として前に進みたかった」とFA宣言した黒田のもとには、アリゾナ・ダイヤモンドバックス、シアトル・マリナーズ、カンザスシティ・ロイヤルズなどからオファーが届き、12月16日にロサンゼルス・ドジャースと3年総額3520万ドル(約40億円)で契約を交わした。

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