近くなったメジャーリーガーへの道。FAで海を渡った男たち

  • 津金一郎●文 text by Tsugane Ichiro photo by Getty Images

フリーエージェント20年史(2) 1998年~2002年

 20年におよぶFA史を振り返ると、1997年オフ、ヤクルトの吉井理人がニューヨーク・メッツへFA移籍したことは、エポックメイキングだった。

 吉井よりも前にメジャーリーグに挑戦していた野茂英雄、伊良部秀輝、長谷川滋利などが20代で海を渡ったのに対し、吉井は1998年シーズンに33歳。前年にヤクルトで13勝6敗の成績を残したとはいえ、一部では年齢を理由に、「アメリカで苦戦するのでは?」と見られていた。しかし、吉井はメジャー1年目の1998年に、29試合に先発して6勝8敗、防御率3.93。なによりも、移動距離や日程の厳しいメジャーリーグで、シーズンを通じて先発ローテーションを守ったことが評価された。

FAの権利を得た新庄剛志は、国内球団の好条件を断り、夢を追ってメッツに移籍したFAの権利を得た新庄剛志は、国内球団の好条件を断り、夢を追ってメッツに移籍した この吉井の成功によって、アメリカでは日本球界の投手への評価がさらに高まり、後に続く選手たちがFAで海外移籍しやすい環境ができあがった。こうして1998年オフに木田優夫(オリックス)、1999年オフに佐々木主浩(横浜)、そして2001年には36歳の小宮山悟(横浜)がメジャーリーグにFA移籍を果たすことになった。

 一方、野手で最初にメジャーリーグへのFA移籍の道を切り開いたのは、新庄剛志(阪神)だった。イチロー(オリックス)がポスティングシステムを使って、3年総額1400万ドル(約16億8000万円)で「日本人野手初のメジャーリーガー」になった2000年オフ、阪神からFA宣言していた新庄も海を渡る決断を下した。残留を求めた阪神の5年12億円をはじめ、横浜、ヤクルトからも好条件を提示されたが、新庄はメジャー選手の最低補償年俸と同額の20万ドル(約2200万円)+出来高払い(最高50万ドル/約5500万円)でニューヨーク・メッツと契約。日本人野手2番目のメジャーリーガーとなった。

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