元巨人ドラフト1位・辻内崇伸「8年間の悔恨」を語る (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • 日刊スポーツ●写真 photo by Nikkan sports

―― 2年目はヒジの靭帯を断裂し登板なし。3年目も登板は1試合だけ。ただ、4年目はイースタンリーグで7勝を挙げ、復調の兆しが見えてきたのかなと思ったのですが。

「常に万全ということはなかったですね。でも、その4年目はすごく覚えている試合があって、3月に行なった阪神との練習試合なんですが、一軍相手に初めて投げたんです。球場が甲子園ということもあって、『ああ、懐かしいな』と。1回を投げて1失点だったんですけど、8年間でいちばん思い出に残っている試合ですね」

―― そして昨年は、一軍のオープン戦に登板し、夏場には初めて一軍登録されました。結局、一軍で登板することはありませんでしたが、浮上のきっかけを掴んだのかなと思いましが。

「チェンジアップに手応えを感じていましたが、ずっと痛みはありました。痛みが消えるのは、痛み止めの注射を打ってしばらくの間だけで......。注射は、1回に5本ぐらい打つのですが、これが僕にとっての命綱でした。うまくはまってくれると、2週間ぐらい痛みは消えるんです。その時は、『これが普通の人の感覚か』って思えるんですよね。その時は遠投も思い切ってできるし、投げるのが本当に楽しい。一瞬、『本当に治ったのかな』って思う時があるんです。でも、しばらくするとまた痛みが出てくる」

―― 一軍のマウンドに上がってみたいという気持ちはなかったですか。

「今にして思えば、投げてみたかったと思いますが、あの時、もし投げていたら雰囲気に飲まれていたというか、投げなかったことでホッとしている自分がいます。昔からなんですが、雰囲気に慣れるまで時間がかかってしまうんです。プロ1年目の時に、二軍の試合で1回に7失点してコーチに怒鳴られたことがあったのですが、あの時の怖さがまだ残っていましたね。試合を壊してしまったらどうしようという不安がありました」

―― 巨人のドラフト1位というプレッシャーを感じたことは?

「巨人というよりも、1位指名というプレッシャーは常にありました。何とか活躍して期待に応えたかったのですが......。でもどこかで、『本当にやっていけるのかな』という不安はありました。コントロールも良くないし、これまで自分をすごいと思ったことは一度もありませんでした」

―― 背番号も「15」から「39」、そして「98」とどんどん大きくなっていきました。

「結果も残していませんでしたし、しょうがないという思いはありました。それよりもチームに残れることがありがたかったですね。ただ、背番号が大きくなるにつれて、あとがない、いつ戦力外になっても不思議ではないという覚悟はできていました」

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