「ポストシーズンの悪夢」を振り払った楽天3人の野球人生 (3ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya
  • 益田佑一●写真 photo by Masuda Yuichi

 その裏の楽天の攻撃。銀次を一塁に置いて、4番のジョーンズが二塁打で二死二、三塁とすると、ケーシー・マギーのジョートゴロを坂本が後逸。楽天が1点を先制した。

 ジョーンズは、1996年にアトランタ・ブレーブスの外野手として19歳の若さでニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズに出場し、初打席初本塁打を放った。これは今もワールドシリーズ最年少本塁打記録である。しかし、ブレーブスは2連勝からまさかの4連敗。さらに1999年もワールドシリーズでヤンキースと再戦を果たしたが0勝4敗。ジョーンズはワールドシリーズ2回を含むポストシーズンに11回出場しているが、世界一を経験したことは一度もない。

「日本へ来て、星野監督と何度も話し合い、その中で私は、チームのモチベーションを高める努力をしてきた。そしてチームメイトもそれに応えてくれた。毎試合、私も含め常に前向きな気持ちで試合に臨むことができた。それがこの結果につながったと思います」

 日本シリーズでは、4番打者としてホームランも打てば、両チーム最多となる6個の四球を選んだ。第5戦では延長10回表に「みんなの努力で作ってもらったチャンスだったので一生懸命走った」と内野安打を放ち、チームに貴重な追加点をもたらした。

 再び、シリーズ第7戦。楽天は2回に岡島豪郎がタイムリー二塁打を放ち1点を追加。4回にも牧田明久の本塁打で3点のリードを奪った。湧き上がる楽天ベンチとは対照的に、巨人は回が進むにつれ士気が弱まっていく。そしていよいよ、歓喜の瞬間が近づいてきた。

「あとは選手が試合でどう演じてくれるか。私は舞台の裾で見ているだけ」(星野監督)

 9回表、星野監督がベンチから姿を見せると、球場にいたすべての人が田中の登場を確信し、田中のテーマ曲であるFUNKY MONKY BABYSの『あとひとつ』が流れるとボルテージは最高潮に達した。その歌に合わせて大合唱するファン。そして「タナカ! タナカ!」の大コール。まさに全盛期のプロレス会場のような熱気で、野球場でこのような雰囲気を味わうのは初めてだった。

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