山﨑武司が語る「楽天初優勝と野村野球の遺産」 (2ページ目)

  • 阿部珠樹●文 text by Abe Tamaki
  • photo by Nikkan sports

 あらゆる状況に備えてしっかり準備をする。その中には、データだけでなく、体のコンディションも含まれる。

「準備をしっかりやっておけば、マイナスになることはない。とにかく野村監督の4年間は『準備をしっかりしろ!』と叩き込まれた。僕自身もそうだったし、田中にしても嶋にしても、今もその影響を受けているのは間違いないです」

 田中はWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の主力として期待されながら、思うような結果を出せなかった。いつもと違うシーズンの入り方をしたこともあり、シーズン序盤は万全の状態ではなかったはずだ。だからこそ、いつもよりも多くの時間を準備に割いた。その結果、22連勝という大記録を作った。準備野球の成果というのが山﨑の見方だ。

「田中の育て方については、野村監督もずいぶん悩んだと思いますよ。新人の頃の田中は、もし僕が監督だったら一軍では使わない。まず二軍でしっかり鍛えるレベルの選手だった。ちょっと失礼だけど、所詮、高校野球のスターでしかないというのが、僕の見た感想でした。でも、野村監督は最初から一軍で使った。将来のことを考えていたんでしょうね」

 山﨑の見立てどおり、開幕直後の田中はほとんどいいところなく3連続KO。それでも野村監督が先発で起用し続けるうちに、徐々に素質が開花し、最後は11勝を挙げて新人王を獲得した。

「スライダーが良かったこともあるし、あの当時、頼りになる先発が岩隈の他にいなかったという事情もある。でも、田中は最初から自分はこうしたい、こうなるんだという目標がはっきりしていた。そこに向かって迷いなく練習し、そして達成する。そのあたりの姿勢を野村監督は評価したんだと思います」

 投手のことに関しては、投手コーチに任せてほとんど口を出すことがなかった野村監督だが、捕手の嶋には徹底的に「ノムラの考え」を教え込んだ。

「よく覚えているのが、嶋が監督から『今の配球の根拠は何だ?』と言われていたこと。『ただ漠然とタイミングが合っていないように思えたから』ではダメ」

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