山﨑武司、引退。「人情派語録」で振り返る、激動の27年 (3ページ目)

  • スポルティーバ●文 text by Sportiva

 球団からはコーチ要請の話もあった。しかし山﨑は、「僕の中の選択肢にコーチはなかった。このままでは終われない気持ちもあった」と現役続行を希望。そして10年ぶりに古巣・中日への復帰が決まった。

「またドラゴンズのユニフォームを現役で着られるなんて想像もできなかった。こんな奇跡的なことはみんなが尽力してくれたおかげ。プロ野球選手としてのあり方、厳しさを教えてもらったのもドラゴンズ。また同じユニフォームを着られて本当に幸せ」

 だが昨年は自慢の長打力は鳴りを潜め、本塁打は1本に終わった。今季も開幕直後に不振に陥り、二軍落ち。交流戦前に一軍昇格を果たしたが、7月27日に再び一軍登録を抹消されると引退を決意した。

「自分の進退を懸けながらやってきた。二軍に落ちることがあれば、ユニフォームを脱ぐというのは前から決めていた。体も元気だし、痛いところもない。自分の中ではまだまだできる、何年も野球をやりたいという気持ちはあったけど、やはり最後はユニフォームを脱がなくてはならない。そんな中で引き際を考えながら、今シーズンかなと思った。やりきったとは正直思いませんけど、次のドラゴンズの選手に夢を託したい」

 ここまで通算2237試合に出場して1833安打、403本塁打を積み上げたが、「2000本安打も打てなかったし、ひとつの目標にしていた長嶋茂雄さんの444本塁打も叶わなかった。成績としては足りない男だと思います」と満足はしていない。ただ唯一、山﨑が誇れるのが27年間、現役生活を過ごしたことだ。

「27年というと、野手では目標としてきた野村さんに並ぶことができました。いろんな人と衝突して、言い合いもしたし、監督室にバットを投げつけたこともありました。それでも誰より長く野球に携(たずさ)われたことは誇りです」

 そして最後に、残された現役生活での目標を訊かれた山﨑はこう語った。

「CSから日本シリーズに出て、日本一になることを目標に頑張りたい。あの緊張感のあるバッターボックスにもう1回立ちたい」

 99年に優勝した時は、ケガによって日本シリーズ出場を果たせなかった。これまで一度も経験したことがない日本シリーズを目標に、山﨑のラストシーズンはまだ続く。

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