長嶋茂雄、松井秀喜。語録で振り返る「師弟20年」

  • スポルティーバ●文 text by Sportiva
  • 久保田龍雄●協力 cooperation by Kubota Tatsuo

 02年シーズン、初の50本塁打を放った松井は、オフにFA権を行使してニューヨーク・ヤンキースと3年契約を結んだ。ヤンキース移籍を決断する前、松井は長嶋氏に「アメリカでプレイしたいという気持ちを消し去ることができません」と連絡を入れ、何度も「もう決めたのか? 決意は変わらないのか?」と聞かれたという。それでも松井の決意は揺るがず、「もう決めました」ときっぱり。長嶋氏も「そうか、わかった。メジャーリーグでも頑張れ」と激励した。その後のメジャー移籍会見で、松井は次のように語った。

「最後の最後まで悩んで苦しかった。何を言っても裏切り者と言われるかもしれないが、いつか『松井、行ってよかったな』と言われるよう頑張りたい。決断した以上、命を懸ける」

 03年3月31日の開幕戦に5番・レフトでメジャーデビューを果たした松井は、初打席でレフト前にタイムリーを放ち、初安打、初打点を記録。そして本拠地(ヤンキー・スタジアム)デビュー戦となった4月8日のツインズ戦では、5回にメジャー第1号となる満塁本塁打を放ち、ファンの度肝を抜いた。「これまでのホームランとは違いますよ」という松井に、長嶋氏も「打ったね、待望のホームランを。ホームグラウンドで打ててよかった。これで自信を持って、自分のバッティングができるだろう」と愛弟子の快挙に目を細めた。

 メジャー移籍後も、長嶋氏と松井の師弟関係は続いていた。ある時などは、国際電話越しに、松井に素振りをさせ、スイングの音を聞いてアドバイスを送ったという。

 そしてハイライトは09年、フィラデルフィア・フィリーズとのワールドシリーズだ。このシリーズで松井は、13打数8安打、3本塁打、8打点の活躍で世界一に貢献。日本人として初めてMVPに輝いた。テレビで観戦していた長嶋氏は「MVPに選ばれた松井選手の笑顔を見て、涙が出るほど嬉しさがこみ上げてきました。(ケガなど)不安を抱えながらのスタートでしたが、最高の形で報われましたね」と自分のことのように喜んだという。一方の松井も、「MVPは予想もしなかった。世界一のおまけみたいなもの」と、驚きを隠さなかった。

 その後、ロサンゼルス・エンゼルス、オークランド・アスレチックス、タンパベイ・レイズでプレイした松井だったが、長嶋氏が常々口にしていた「いつかメジャーで本塁打王か打点王のタイトルを獲ってもらいたい」の願いは最後までかなえられなかった。そして12年12月28日、ついに引退を決意した。会見で「20年間で最も印象に残っている場面は?」と聞かれた松井は、こう答えた。

「いろいろありますが……やっぱり長嶋監督とふたりで素振りをしていた時間ですかね」

 それを聞いた長嶋氏は、「これまではあえて称賛することを控えてきたつもりだったが、ユニフォームを脱いだ今は、最高のホームランバッターだった」の言葉を贈った。

 長嶋監督の期待と愛情を一身に受けていた松井。つきっきりで素振りに付き合ってくれた長嶋監督に、国民栄誉賞受賞という最高の形で恩返しを果たした。ふたりの師弟関係は、まさしく「永久に不滅」である。

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