長嶋茂雄、松井秀喜。語録で振り返る「師弟20年」

  • スポルティーバ●文 text by Sportiva
  • 久保田龍雄●協力 cooperation by Kubota Tatsuo

 プロ1年目のキャンプ、豪快な当たりを連発していた松井だったが、オープン戦は53打数5安打、0本塁打とプロの壁にぶち当たった。長嶋監督は「練習しなきゃ、いい選手にはなれないぞ」と、松井の二軍スタートを決めた。

 その言葉に応えるように、松井は二軍で48打数18安打、4本塁打と打ちまくり、5月1日に一軍昇格を果たすと、翌2日のヤクルト戦、1-4とリードされた9回二死一塁で高津臣吾からプロ初本塁打を記録した。松井は「打っちゃった」と素っ気なかったが、長嶋監督は「最高の当たりでしたね。また、明日以降の楽しみが増えました」と手放しで喜んだ。

 松井を巨人の4番、球界の4番に育てたい――長嶋監督が打ち出したのが、「4番1000日計画」だった。それから長嶋監督と松井によるマンツーマンの素振りチェックが始まる。ホームゲームではミーティングルームや監督室で行ない、遠征の時はホテルの一室に呼んで行なった。また、長嶋監督の自宅に呼ぶこともあったという。

 そして1995年8月24日の横浜戦、長嶋監督が「もう大丈夫ですよ。これからです」と、ついに松井を4番で起用した。松井は、「単に4番目を打つだけ。アルバイトみたいなものですよ」と淡々と語ったが、数字が4番としての責任感を物語っていた。

 翌96年、自身初の3割をマークすると、98年には34本塁打、100打点で二冠王に輝いた。だが、4番として成長していく松井に、長嶋監督はあえて厳しい言葉を浴びせた。

「本塁打王を獲ったといっても、34本は少ない。素質は素晴らしいのだから、ちょっと活躍したからといって満足するような選手になってほしくない。頑張れば、歴史に残る選手になれるのだから」

 その言葉を受けた松井は、「僕は一発を狙うことで、打点も打率も上がっていくと考えています。ホームランがすべての数字を変えていける」と、さらなる飛躍を誓った。

 00年には42本塁打、108打点で再び二冠王を獲得。何度も「まだまだ未熟」と語っていた長嶋監督も、「松井に一発が出ると、チームがグッと乗る。松井のホームランにはそういう意味がある。もう巨人の主力打者ではなく、日本球界の主力打者」と最大級のエールを送った。

 しかし翌年、長嶋監督はこの年限りでの勇退を発表。そして東京ドームでの最終戦。いつものように松井の素振りを見ていた長嶋監督が、「松井、これからの日本プロ野球はお前の時代だ。頑張るんだぞ」と声を掛けると、松井は「今まで本当にありがとうございました」と、涙が溢れて止まらなかった。

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