脅威の奪三振率。ソフトバンク・千賀滉大こそ和製ライアンだ! (2ページ目)

  • 田尻耕太郎●文 text by Tajiri Kotaro
  • 繁昌良司●写真 photo by Hanjo Ryoji

 それでもソフトバンクは千賀を評価した。この年までホークスのスカウトを30年以上務め、現在、二軍監督の小川一夫はこう振り返る。
 
「素晴らしい素質の持ち主です。特に、ヒジに柔らかさがあり、順調に育てばかなりの投手になると思っていました。他の球団がそれほど目をつけていなかったのが幸運でした」

 実は、「愛知にアマ球界に詳しい方がおられて、その人が(千賀の存在を)教えてくれた」という。その人物はスポーツショップを経営していたが、一昨年に急逝した。「その方にはいろんな選手を教えてもらったんですけど、千賀が最後の選手なんだよな」と小川監督はぽつりと語り、現在の活躍ぶりにも「特に驚きはないですね」と口元を緩めた。

 背番号128で入団した千賀の1年目は、まずは体作りからだった。その甲斐あって、高校時代は最速144キロだった球速が1年間で152キロまで伸びた。だが、まだ球質が悪く、特に低めのボールは伸びを欠くどころか沈んでしまうほど威力がなかった。

 転機となったのが2年目の1月。先輩の近田怜王(ちかだ・れお/昨年退団し、現在は社会人野球のJR西日本でプレイ)に連れられて行った自主トレだった。訪れて、千賀はびっくりした。中日のエース、吉見一起や米大リーグ・オリオールズのチェン、さらにはソフトボールの金メダリスト上野由岐子らの姿があった。そこで彼らとともに汗を流す機会を得たのだ。超一流選手がどのような練習をしてどんなことを考えているかを知った。さらに、彼らを束ねる「鴻江スポーツアカデミー」主宰の鴻江寿治(こうのえ・ひさお)氏から体の使い方を学び、「低めの球がぐんと伸び、球が垂れなくなった」(千賀)というストレートを身につけた。

 そうして迎えた昨シーズンは4月に支配下入りを果たし、一軍で2試合に先発。結果は残せなかったが、二軍ではローテーションを守りウエスタン・リーグの最優秀防御率のタイトルを獲得した。

「年間を通して投げることができたのはとても自信になった」

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