【WBC】侍ジャパン2009「勝負を分けたあの継投」 (4ページ目)
ダルビッシュを抑えに回そう、と。
決してダルビッシュの意向を尊重するのではなく、また藤川に気兼ねすることもなかった。
大会前、山田は次のように言っていた。
「なんらかの決断をするとき、投手コーチにとって大事なのは、その決断を選手が十分に納得してくれること。そのためには、自分自身が日の丸という重圧を忘れ、本来の采配に徹することができなければいけないと思っているんです」
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9回表、アメリカの攻撃。
ダルビッシュは先頭打者、ジーターに渾身(こんしん)のストレートを続けた。
自分がもし失敗したら、球児さんに申し訳が立たない。そんな思いを込めてダルビッシュは打者に向かっていった。
ブルペンの与田は、柵越しに遠いマウンドでダルビッシュが一球を投じるごとに、左手に忍ばせたカウンターをカチリと押した。球数を自身で確かめるためだ。もし30球未満で済めば、決勝でも投入できる。スタンドはダルビッシュの登場に沸いていたが、この空間だけは冷静だった。
間もなくして、ダルビッシュがいなくなったブルペンで、内海哲也がゆっくりとだが、投球練習を始めた。
9-4の点差でダルビッシュを投入しても、それで試合が終わると決めつけていない。万が一、いやそれ以上に可能性の低いピンチを想定してまで、内海に準備をさせたのだ。
首脳陣の決断と、こうした冷静な判断が、過去の代表チームとは質を異にした、新たなるジャパンの強さを生み出したのだった。
『Sportiva増刊 WBC2009総集編』(2009年3月28日発売)より転載
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