【WBC】侍ジャパン2009「勝負を分けたあの継投」 (3ページ目)

  • 木村公一●取材・文 text by Kimura Koichi
  • photo by Taguchi Yukihito

 先発を任せた者は、よほどの乱調が続かない限り先発として使う。中継ぎ、抑えも同様だ。

「不安はあっても、選ばれた代表でプライドのある投手たち。信頼している限り、送り出す」

 その結果、これまで幾度となく国際大会で勝機を逸してきた。しかし、今回の首脳陣は違った。

「国際大会では、ペナント以上に攻めの継投ができないと勝てない。そのためには、投手陣に配慮はしても、気兼ねをしていては話にならない」

 大会前、山田はそう言い切った。

「大切なことは、投手ではなく“投手陣”という意識を持ってもらうことです。個々のプライドを、代表の期間だけはしまってもらう。ペナントレースを戦うなら、プロだけに各人のエゴがぶつかり合うこともある。でも国際大会は別なんです」

 国際大会だからこそ、プライドやエゴを捨てろ。

 ブルペン担当の与田は、こう言っていた。
「今回のWBCの場合、まず日本は第1回大会の優勝国であるという意識を捨てる必要がある。あくまで挑戦者。そう思うことで、各人の気持ちもひとつになるのではないか」

 そうした言葉を象徴した光景が、3月22日、準決勝のアメリカ戦でのダルビッシュ投入だった。

 大会に入り、不振がちだった打線に比べ、投手陣は粘り強い投球を見せていた。先発陣とブルペン陣の呼吸も、試合を重ねるごとに合ってきた。ただし、唯一の不安は抑え投手陣にあった。数少ない“ブルペン専門職”であったはずの馬原孝浩と藤川の調子が、上がってこなかった。

 馬原は第2ラウンドあたりから復調し、セットアップとしてのメドがついたが、抑えに据えた藤川は、第2ラウンドになっても本来の球威とキレが戻り切っていなかった。

 そこで山田は、決断した。

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