【プロ野球】藤浪晋太郎へ、元阪神ドラフト1位コンビからのエール (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro

 まもなくプロ野球のキャンプが始まるが、萩原は当時をこう振り返る。

「1年目のキャンプは二軍スタートでした。当時はどの球団も、高卒はみんなそうだったと思います。初めて実戦練習で打席に立った時のことは、強烈に覚えていますね。服部(裕昭)さんという方がピッチャーだったんですけど、それまで見てきた球とはキレが全然違いました。一軍でバリバリやっている人じゃないのに、こんなボールを投げることに驚きましたね。じゃあ、一軍で活躍している人はどんなボールを投げるんやろうって......。焦りというより恐怖を覚えました」

 ファームでは首位打者、打点王、5試合連続本塁打を記録した萩原だったが、一軍では期待するような数字は残せなかった。たまに一軍の打席に立つと、高校時代はいつでも打てそうな気分にさせてくれた甲子園が随分と広く感じたという。萩原が阪神に入団した時からラッキーゾーンが撤廃されていたが、それよりも「ホームランを打たなければ......」という思いがそう感じさせたのだろう。それでも打席ではいつも気持ちを奮い立たせていた。

「相手を見上げてしまったら絶対に勝負には勝てない。いくら力で劣っていたとしても、『絶対に打ってやる、絶対に打てる......』と。カラ元気というか、カラ自信(笑)。そこだけは持って、最後まで打席に立っていました」

 阪神時代を振り返り、今でも悔やむのは中学の頃から痛めていた右肩のことだという。しっかり守れなかったことが出場機会を減らしてしまった。7年目に近鉄にトレードされるが、そこで出会った治療でそれまでの痛みが嘘のように消えた。「もう少し早く出会っていれば......」。そんな思いが、今の仕事(大阪府寝屋川市で「まこと整骨院」を開業)に進む大きなきっかけになった。そして後輩の藤浪には、コンディション面でこんなアドバイスを送った。

「藤浪は高校時代、肩やヒジの故障はほとんどなかったと聞いています。それは素晴らしいことですけど、逆に故障慣れしていない面もあるはず。プロの長いシーズンの中で、少しでも違和感が出た時は、とにかく無理をせず、慎重にやってほしい。まずは力を発揮できる体であることが第一。彼は賢いですから、そのあたりも十分わかっていると思いますけどね」

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