【プロ野球】
ソフトバンク・寺原隼人「昔の僕のイメージを払拭したい」

  • 田尻耕太郎●文 text by Tajiri Kotaro
  • 繁昌良司●写真 photo by Hanjo Ryoji

7年ぶりにホークスに復帰し、秋山監督と握手を交わす寺原隼人7年ぶりにホークスに復帰し、秋山監督と握手を交わす寺原隼人 一体、どんな雰囲気で練習をしているのだろうか。衝撃的ニュースからちょうど1週間が過ぎた1月19日、佐賀県の唐津市野球場に足を踏み入れるのが、正直少し不安だった。

 寺原隼人と馬原孝浩。

 彼らは、寺原が以前にホークスに在籍していた時から一緒に自主トレを行なう仲。今年1月も佐賀県唐津市でともに練習に励んでいたのだ。7年ぶりに同じユニフォームに身を包んで迎えるシーズンのために――。

 しかし1月12日、馬原はオリックスへの移籍が決まった。FAでホークスに復帰した寺原の人的補償だった。馬原は通算180セーブの生え抜き守護神である。昨季は右肩手術を受けて登板がなかったとはいえ、その名前が挙がった時はホークス関係者を含めて誰もが驚きを隠さなかった。その前日に通達を受けた馬原もまた「しばらくは切り替えられなかった」と、その衝撃を振り返る。しかし、次の瞬間に頭に浮かんだのは寺原のことだった。

「僕は(究極のプラス思考という)自分の性格が分かっています。だけど、テラ(寺原)はきついはず」

 正式発表前の他言は厳禁である。だが、馬原は球団関係者に頼み込み、寺原にだけはその日のうちに電話で報告を入れた。寺原が言葉を失ったのは言うまでもない。馬原は「気にするな」といつものように、優しい声で言った。

 寺原は今季でプロ12年目になる。宮崎・日南学園高3年の夏に出場した甲子園で最速157キロをマークし一躍時の人となった右腕は、ドラフトで4球団から1位指名を受けた。その中から当たりくじを引き当てたのは、福岡ダイエーの王貞治監督(当時)の右手だった。入団1年目02年は「寺原フィーバー」に沸いた。開幕してすぐの4月には一軍で先発デビューを果たすと、2戦目でプロ初勝利を挙げた。高卒ルーキーながら6勝と活躍を見せた。

 だが、入団からわずか5年、06年オフに多村仁との交換トレードで横浜(現横浜DeNA)へ移籍する。5年間で挙げた勝ち星は16個。3年目以降はわずか3勝と低迷したのだ。故障に泣かされたのも一因だが、当時の寺原に足りなかったのは精神面の強さだった。

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