【プロ野球】鉄人語録で振り返る、金本知憲「不屈の21年」 (2ページ目)

  • 石塚隆●文 text by Ishizuka Takashi
  • 益田佑一●写真 photo by Masuda Yuichi

 そして大きなターニングポイントになった2002年オフ、金本はFAで阪神へ移籍。自分を育ててくれた広島への愛着は強かったが、阪神の星野仙一監督から熱心に口説かれた。

「(星野監督に)なかば強引に脅迫されました。甲子園の熱狂的ヤジも覚悟しています」

 翌2003年、3番打者として阪神打線を牽引し、チームの精神的支柱としても活躍。阪神の18年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した。また、同じくに優勝の立役者となった今岡誠が前監督の野村克也氏に関して「納得のいく起用をしてくれなかった」と愚痴った時には、金本が「はたから見れば、お前はこれまで(野村監督から)十分チャンスをもらっていたぞ」と言い放ったという逸話が残っている。金本のこの言葉があったからこそ、今岡が首位打者に輝くほどの活躍を見せ、チームの優勝に貢献できたのは言うまでもない。

 そして、金本の鉄人伝説で一番有名なのは、2004年7月30日の巨人戦、左手が骨折していたのにも関わらず、右手一本でヒットを放った場面だ。金本は前日、左手首に死球を受け、達成まであと3試合と迫っていた連続フルイニング出場の日本記録は絶望と思われていた。しかし岡田彰布監督は「カネ、出られるんやろ?」と何事もなかったように金本に問うと、「出ます」と即答したという。

「あの時だけは記録のために出ましたね」

 そして、その2日後の8月1日、金本は701試合連続フルイニング出場の日本記録を樹立した。

「丈夫な体に生んでくれた両親と先祖様に感謝したい。もう1年で世界記録が見えてくる」

 不調やケガがありながらも金本は試合数を重ね、ついに前人未到の大記録を達成する日が訪れた。2006年4月9日の横浜戦、金本は"世界の鉄人"カル・リプケンJr.(ボルティモア・オリオールズ)の記録を抜いて、ついに904試合連続フルイニング出場の世界記録を達成した。

「何事も自分で無理だと、やる前に結論を出してしまえば、それまで。それ以上の成長はない」

 常にチャレンジと成長を試み、結果を出している金本の言葉は、誰よりも重い。

2 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る