【プロ野球】鉄人語録で振り返る、金本知憲「不屈の21年」

  • 石塚隆●文 text by Ishizuka Takashi
  • 益田佑一●写真 photo by Masuda Yuichi

今シーズン限りで21年間のプロ野球生活に別れを告げた金本知憲今シーズン限りで21年間のプロ野球生活に別れを告げた金本知憲 プロ生活21年、1492試合連続フルイニング出場の世界記録保持者である金本知憲が、今シーズン限りでユニフォームを脱いだ。広島、阪神で活躍し、勝負強いバッティングと頼れるキャラクターから"アニキ"の愛称でファンに親しまれた金本だが、決して順風満帆な現役生活ではなかった。偉大なプレイヤーを失った2012年の年の瀬に、アニキのプロ野球人生を語録とともに振り返ってみたい。

 東北福祉大学で活躍して1991年のドラフト会議で地元球団の広島から4位指名されるも、入団当初はプロのレベルのすごさに愕然(がくぜん)とし、こう口にしたという。

「2、3年でダメ(クビ)じゃろ。とてもじゃないが世界が違う」

 実際、入団してから2年間はまったく芽が出なかった。背水の陣で迎えた3年目、金本はオープン戦で足を捻挫(ねんざ)し、三村敏之監督に報告をすると「ケガをしているヤツは要らん!」と、その場で二軍落ちを命じられた。それ以来、金本は心に誓った。

「自分からケガをしていると口に出すのは絶対にやめよう。口に出さなければケガにはならない」

 この決意こそが"鉄人"と呼ばれた金本の原点である。また、線が細く非力な選手と見られていたため積極的にフィジカルトレーニングをこなし、肉体改造に取り組んだ。本来、少食だったが、とにかく体力をつけようと満腹になっても、「今までは"食事"やったけど、これからは"練習"や」と、無理をして食事を摂(と)り続けた。心身ともにタフになった金本はこの年、17本塁打を記録し、シーズン後半にはレギュラーの座をつかんだ。

 以降、チーム内ではもちろん、日本球界において金本の存在感は年々増していくことになる。コンスタントに打率を残すようになると、次第に長打力もつき、2000年には一流選手の証である史上7人目のトリプルスリー(3割、30本塁打、30盗塁)を達成。翌2001年には、39年ぶりに毒島章一(ぶすじま・しょういち/元東映)の記録を大きく更新する1002打席連続無併殺打の日本記録を樹立する。「ゲッツーにならないからといって内野安打になるわけではないが、そういうところで一生懸命に走ってきた」と、凡打であっても鬼の形相で全力疾走する姿こそが金本の真骨頂である。金本はこの記録を連続フルイニング出場の世界記録よりも誇りに思っているという。

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