【プロ野球】ドジャーススカウトが語る「大谷を獲れなかったのは日本球界のためにも残念だった」 (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • 日刊スポーツ●写真 photo by Nikkan sports

 ドジャースの日本担当スカウト、小島圭市がこう話してくれた。

「マイナーをほとんど経験したことのない日本人元メジャーリーガーが、『ルーキーリーグなんか行かない方がいい。食パンとピーナッツバターしかない』とテレビでコメントしていました。でも、そういう時代はもう終わっているんです。チームによっても環境は違うし、メジャーはこうだ、マイナーはこうだという括り方はあまりにも乱暴だと思います。実際は、食パンとピーナッツバターだけじゃない。たとえばドジャースのキャンプ地にはマイナーの選手のためにもカフェテリアが用意されていますし、シーズンに入ればナイターが多くなるので、試合前に食べられる食事が用意されています。肉や魚、サラダ、パン、ピザやパスタなど、一通り揃ってますよ。ランチのハンバーガーが悪いように言われていますけど、アメリカのハンバーガーは美味いんです(笑)。それに、日本のキャンプだって昼はうどんとかサンドウィッチだったりするでしょ。チームによって違うのは日本だってそうですよね。ジャイアンツの二軍は素晴らしい施設の中で練習していますけど、そうではないチームもある。アメリカも同じでドジャースの場合、マイナー専用のグラウンドが何面もありますし、ウエイトトレーニングのマシンやトレーナー室もメジャーとは別に用意されています。アジア人のルーキーには2年間、必ず通訳をつけますし、食事を作ってくれるホストファミリーを紹介したりして、日々の生活のバックアップもしています。確かに日本のように何でも揃うコンビニはないし、遠征の移動では長い時間、バスに揺られることもあります。だからマイナーは環境が劣悪だと言う人がたくさんいますけど、ドジャースには時間をかけて計画的に選手を育成するプログラムがあるんです。どんなに素晴らしいボールを投げられても、体を作らなければならない時期にメジャーの試合で投げさせるなんてことは絶対にありません。日本のチームに入れば大物ルーキーとかなんとか騒がれて、キャンプからバンバン投げなくちゃならなくなるし、本人もいいところを見せようと無理をする。高卒で1年目からローテーションに入って投げている選手も珍しくありません。でも、アメリカではそんなことは絶対にあり得ないんです」

 小島圭市は、元プロ野球選手である。東海大高輪台高から1987年、ジャイアンツにドラフト外で入団。プロ6年目の1992年7月、10日間で3勝を挙げ、俄然、注目を集めた。しかしその直後に腰を痛め、二軍落ち。さらに翌春のキャンプでも股関節を痛めてしまい、思うようなボールが投げられなくなってしまった。結局、プロ4勝目を記録することなく、1994年限りでジャイアンツを退団。翌年にはアメリカに渡り、左ヒジの靱帯を再建する、いわゆるトミー・ジョン手術を受けた。執刀医はあの桑田真澄と同じフランク・ジョーブ博士。大挙して報道陣が詰めかけた桑田の手術の4カ月後、ひとりの記者もいない同じロサンゼルスの病院で、小島は桑田と同じ手術を受けていた。

 単身、アメリカで孤独なリハビリを続けた小島は、その後、レンジャーズとマイナー契約を結び、復活を目指した。桑田が東京ドームで劇的な再起を果たしたのと同じ1997年、小島はフロリダにあったレンジャーズのシングルA、シャーロットで復帰を果たし、その年、AAタルサで勝利投手にもなった。1998年には帰国してドラゴンズ、1999年には台湾のブルズに所属して、引退。その後、ドジャースの日本担当スカウトとなり、斎藤隆や黒田博樹の獲得に一役買っている。小島は、今回の大谷の決断についてこう話した。

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