【プロ野球】高津臣吾「高いレベルで監督をして、自分のチームを作りたい」 (3ページ目)

  • 大田誠(テレビ朝日 Get SPORTS取材班)●文 text by Ohta Makoto(tv asahi Get SPORTS crew)
  • スポルティーバ●写真 photo by Sportiva

 厳しく言い過ぎても、細かく伝え過ぎても、選手が萎縮してしまうと感じた高津は、伸び伸びと思い切って野球ができる環境にこだわった。しかし、ただ自由にプレイさせていたわけではない。次に取り組んだのが、選手個々に、とにかく自分で「考えさせる」ことだった。

「『何で? どうして?』というのは突き詰めました。各選手に、チームとして、個人として、何で打てなかったのか、何で勝てなかったのか、すごく細かい部分で、『どうして?』という質問をぶつけました」

 この「考えさせる」ことには、ひとりの大人として、社会人として、自立した人間になってほしいという、高津の思いが込められていた。結果、新潟アルビレックスBCは、アメリカ的「超攻撃野球」と日本的な「緻密な野球」が融合し、圧倒的な強さでチーム初のリーグ制覇を果たす。さらに、日本独立リーグ・グランドチャンピオンシップでも、3戦全勝で香川を下し、独立リーグ日本一に輝いた。

 そして2012年9月22日、高津臣吾は、引退試合に駆け付けてくれた古田敦也のミットへシンカーを投げ込み、22年間の現役生活に幕を下ろした。高い壁を這い上がり、幾多の苦難を乗り越えながら、現役にこだわり続け、マウンド上での真剣勝負を追い求めてきた高津は、その人生にひとつの区切りを付けた今、何を思っているのだろうか。

「いろんなところで、900から1000試合ぐらい投げてきたのかな。それだけ、たくさんの楽しい思いも、辛い思いもさせてもらったので、今、ちょっと時間が経ったから言えるんですけど、結構お腹いっぱいまでやったなと思っています。『よくやったな』という思いが最初に出てくるので、結構さっぱりしています。もちろん、やりたいのはやりたいですけど……。次のステップに行きましょうという自分もしるし、また次も面白いことが絶対にあると思っているしね」

 そして最後に、これからの夢について訊いた。

「いちばんは、高いレベルでの監督はやりたいなと思っています。その間にいくつかのステップは踏まないといけないだろうし、そういう縁があるかも分からない。でも、指導者としてやるには、やっぱり監督はやりたいですね。自分のチームというのを作ってみたいなと思います」

 指導者として次なるステージに上がっても、現役時代と同じように、常に疑問を持ち、そして考え、次々と難問を解き明かしていくだろう。野球へのあくなき探究心はこれからも消えることはない。野球を愛しすぎたがゆえに、野球という魔物に取り憑(つ)かれてしまった「永遠の野球小僧」、高津臣吾の野球人生第二幕がはじまる。

「GET SPORTS」 毎週日曜日24:45~ テレビ朝日系列で放送

新潟アルビレックスBC

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