【プロ野球】高津臣吾「高いレベルで監督をして、自分のチームを作りたい」

  • 大田誠(テレビ朝日 Get SPORTS取材班)●文 text by Ohta Makoto(tv asahi Get SPORTS crew)
  • スポルティーバ●写真 photo by Sportiva

9月22日の試合をもって22年間の現役生活に別れを告げた高津臣吾9月22日の試合をもって22年間の現役生活に別れを告げた高津臣吾高津臣吾インタビュー(2)

 35歳で世界最高峰のメジャーリーグに挑戦した高津は、2006年に古巣ヤクルトで日本球界に復帰するが、翌年には思うような投球ができず戦力外となってしまう。その後は、韓国、台湾と渡り歩き、日本人として初めて世界4カ国のプロ野球を経験したものの、今年9月の引退会見の席で、「最後の5年間は、死に場所を探している状態」と表現したように、5年前から「引退」の二文字を意識し始めていた。それでも去年、現役にこだわり続け辿り着いたのが、新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ。名球会メンバーとして初めて、独立リーグでプレイすることになった高津は、この場所で自らの原点を思い出すことができたという。

「最後の新潟に関しては、今まで経験したリーグの中で実力的にも、環境的にも、待遇もすべて一番下。でも、ちょっと晴れやかな気分になったというか、思い出した部分のほうが多いんですよ。日本の野球を離れて4年経っていたし、しかも帰ってきた時に橋上(秀樹/元ヤクルト)さんが監督をされていた。橋上さんは野村(克也)さんのもとでプレイもされていましたし、野村さんの野球を引き継ぎコーチもやられた方だったので、昔を思い出した感じで楽しくなりました。実際にプレイしていても、『こういうこともあったな』とか、『こうやって抑えていたな』とか、『こうすれば何とかなるかな』とか、頭の中にテーマや課題を持ってプレイしていました。これが日本の野球だったなと、つくづく思いました」

 さらに。

「真剣勝負をする楽しさとか、その結果の嬉しさとか、悔しさとかは、どこでも一緒です。でも、このことに気付いたのが去年でした。打たれたくないとか、点を取られたくないとか、ホームランを打ちたいとか、逆転したいとか、そうした当たり前の気持ちは、どこの野球でも一緒なんだというのに、あらためて気付かされたんです。それって、すごく大事な瞬間というか、とても大きなことでした。独立リーグに来て、あらためて気付かされることがたくさんあったので、それは大きな収穫でしたね」

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