【プロ野球】少しの手応えと多くの課題。4番・中田翔の153試合 (2ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • 益田佑一●写真 photo by Masuda Yuichi

 振り返れば、開幕から4番に座った中田だが、ペナントレースでも苦しんだ。開幕からノーヒットが続き、シーズン初安打は6戦目の第3打席、じつに25打席目のことだった。打率も2割に満たない時期が続いた。「一軍と二軍を行き来する選手を見ると申し訳ない気持ちでいっぱいだった。一番打てていないのは、自分なのに......」と悔しい日々を送った。「うまく力が伝わらない」と交流戦最中の5月末に、これまで取り組んできたノーステップの"ガニ股打法"を止め、左足を大きく上げるフォームに変更。そこから徐々に上昇の気配を見せ始めたものの、前半戦の成績は打率.202、本塁打10、打点39と納得できる数字ではなかった。

 だが、8月に入ると持ち前の力強いバッティングを取り戻し、打率.330、本塁打6、打点14をマーク。さらに熾烈な優勝争いの中、9月28日の西武戦では1試合2本塁打を放つなど5打点の活躍でマジック4を点灯させ、3年ぶりの優勝を引き寄せた。シーズンが進むにつれ勝負強さを発揮し、最終的に打率.239、本塁打24、打点77まで数字を上げた。

 そして4番として迎えた初めての日本シリーズ。初戦から9打席ノーヒットが続いたが中田への信頼は変わらなかった。「翔が左手の痛みをおしてやっているのはわかっている。少しでも楽にやらせてやりたいと、周りのみんなが思っている」と語ったのはベテランの稲葉篤紀だった。

 ペナントレース序盤、まったく数字が上がらない中田に対し周囲から不満の声が上がらなかったのは、中田の努力を知っていたからだろう。稲葉が課したという試合後のバッティング練習は、シーズン最後まで休むことなく続けられた。「野球がうまくなるために努力は一切惜しまない」という中田の姿勢は、一度もぶれることがなかった。だからこそ、栗山監督もこの男に賭けたいと思ったに違いない。「将来のことを考えれば、4番は中田しかいない。それが使命」と、4番としての責任と覚悟を育てていった。

 ただ、日本シリーズでは死球の後、本来のスイングではなかった。第3戦の試合前の打撃練習でも柵越えは2本。

「考えないようにしても、本能的に左手をかばおうとしてしまう。フルスイングしようとしても、手首を返すときに痛みが走ってしまう」

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