【プロ野球】ソフトバンク・武田翔太こそ本物の「ダルビッシュ二世」である (3ページ目)

  • 繁昌良司●写真 photo by Hanjo Ryoji

 そしてブルペンでの最初のストレートがいきなり地面スレスレ。突き刺さるような球筋。いい角度だ。さらに低く、低く続く。目測で140キロ前後。猛烈な腕の振り。それでも球は低めにくる。右打者のアウトローばかり構える。ここが武田のベストボール。「強い!」。思わずミットが跳ね上がる。

 向こうで監督に何か言われている。

「遠慮するな! キャッチャーをケガさせるぐらいの気持ちで放れ!」

「その通り! 構わないから、壊してくれ!」

 彼の出力の目盛りがひとつ上がった。

「ワリャー!」

 渾身の腕の振りが力みになった。今日初めて高く抜けたストレート。右打者の胸元あたり。「アッ」と思って慌てて捕りにいったが、ミットをかすめたボールは後ろのネットに突き刺さっていた。恐ろしい一球だった。

 中学時代にヒジを痛めてへこんでいた時、お父さんから言われたひと言が忘れられないという。

「右がダメなら左があるじゃないか!」

 実はお父さんは、右腕の機能を失っている。トラック輸送の仕事中の交通事故。整復手術で形を失うことは避けられたが、神経がつながることはなかった。

「でも、左手一本で何でもできるんです。投げて、打って、バットも振れるんですよ」

 今でもソフトボールの監督を務めている自慢のお父さん。ふたりのお姉さんはすでに嫁(とつ)がれて、お母さんが看護師として働く。お母さんが夜勤の時はお父さんが包丁をふるい、彼が手伝う。カレーでも親子丼でも、お父さんは左手一本で何でも作る。

 事故は、武田が生まれる少し前に起こった。

「お父さんの右腕の代わりに、僕が生まれたんです。だから、僕がお父さんの右腕にならないと……。何をすれば親孝行になるんでしょうね」

 高校球児のつぶやきとは思えない大人びた響きを持っていた。

「親子って、近いようで遠いというか、正面向かって話すことって、なかなかできないじゃないですか。とにかく世話になった人たちを、僕のプレイで元気になってもらいたいので、絶対甲子園行って、できればプロにも行って……」

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