2012.05.05

【プロ野球】『守備の人』が2000本安打。
宮本慎也を支えた打撃理論と母の教え

  • 柳川悠二●文 text by Yanagawa Yuji
  • 岩本直哉●写真 photo by Iwamoto Naoya

「もはや私がアドバイスすることはありません。宮本くんももう41歳か? プレイが若いから、年齢ももっと若いかと思っとったよ。正しい野球ができれば長く野球ができるということを証明してくれておるね。2008年にショートからサードに守備位置が移ったときも普通は対応に苦しむのに、彼は簡単にこなした。とにかく野球センスがすばらしい。私は79歳のじいさんだが、中西のおかげで2000本安打を達成できたと言ってくれているのなら、感無量です」

 また、宮本はヤクルトの主力としてだけでなく、五輪代表やWBCで日本代表にも選出。代表監督を務めた長嶋茂雄氏、王貞治氏、星野仙一氏といった日本球界の重鎮たちも宮本の守備力とリーダーシップに信頼を寄せた。宮本もその期待に応えてアテネ五輪銅メダル、第1回WBC優勝に大きく貢献した。

「自分がリーダーのタイプであるかどうかはわかりませんが、若手にとっては口うるさい存在でしょう。僕は野球以外に趣味のようなものがない。24時間、野球のことを考えていても平気な男です。野球バカで死ねたらいい」

 野球を始めた小学3年時から、宮本は座右の銘である『球道即人道』を地でいく野球人生を歩んできた。母からは「野球選手を目指すなら一番を目指せ」と言われ、39度の熱を出したときでも「この子はグラウンドで死ねたら本望です」と医師の制止を振り切って送り出す母だった。「勉強をしろ」などとは一度も言わず、「お父さんとお母さんが死んだら、あんたが妹を養っていくんやで」と言って宮本に自立を促した。

「たとえ泥棒であっても、どうせなら日本一の泥棒を目指せと(笑)。自分が選んだ道は、何はともあれ一生懸命やれという教えだった。あの母親ならよっぽどできた人間になるか、道をはずしていくか、そのどちらかだと思います」

 PL学園3年の時は大阪府大会で敗退し、7年連続で春夏どちらかの甲子園に出場していた名門校の記録を途切れさせた。大学でも主将を務めた4年生最後の試合で自身のサヨナラエラーで敗れた。ドラフト指名が確実視されていたプリンスホテル2年目も都市対抗の予選で敗退し、本大会の出場を逃した。また、主将に任命され、金メダルが期待された08年北京五輪では、まさかのメダルなし。これまで野球人生の節目には、苦い思い出ばかりが残る。

「根っからの負けず嫌いだからこそ、負けた悔しさを次のステップで成長して来られたんだと思います」

 これまでゴールデングラブ賞を9度受賞してきた守備の男にして、若手時代は主に下位打線を、主力となってからは2番打者という犠牲的・献身的な役割の打順を任された男が、2000本に到達し大打者の仲間入りを果たした。そして攻守に抜きんた野球人として球史に名を残すことになった。

 今シーズンいっぱいの引退を決めているといわれる宮本にとって、残された現役生活で目指すは『有終の美』。つまりリーグ制覇と、01年以来自身4度目の日本一である。

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