【プロ野球】ヘビのように曲がるロッテ・中後悠平のスライダー (3ページ目)

  • 青山浩二●写真 photo by Aoyama Koji

 中後自身も意識過剰になって腕が縮み、球道が定まらないから、『際(きわ)』にきめても「ボール」にとられる悪循環が彼を苦しめた。

 今の中後悠平は『ストライクゾーン』の中でボールが暴れているから、打者を困らせることができる。

 審判の目だってプロだから、生命線の『際』も半分はストライクと認めてくれて、勝手に動くストレートにスネークスライダー、ストライクゾーンの中で暴れられたら、百戦錬磨の打者たちだって、そうそう捉えられないボールの「運動量」なのだ。

 ならば、どうしてコントロールが落ち着いてきたのか。

 それが右足のつま先だった。

 大学時代は、インステップする彼の右足のつま先が一塁側のベンチの方向を向いていた。受けていてもはっきりわかるほどのクセだったが、本人はそのほうが投げやすいというから、それもスタイルかと「妥協」したものだった。

 その右のスパイクのつま先が、今は捕手のほうを向いている。投げようとする方向へ体が向いているから、投げるボールの『暴れる範囲』も理にかなってきて、打者が最も手を焼く『ゾーンの中で暴れる投手』になっている。

 5月3日のオリックス戦。

 同点に追いついた6回途中からリリーフのマウンドに上がり、この日は打者7人に2安打2四球。2点を奪われて降板した。

 いい時もあれば、悪い時もあるさ。なんてたって、まだルーキー、まだ22歳。

 この日観戦に来ていた厳しい、厳しいオトーチャン(榎本保・近畿大野球部監督)に、時には怒鳴られながら育ったたくましさが、中後にはある。

 右足のつま先を『方向舵(ほうこうだ)』に、熱い闘争心を真っ正面から打者に向けて、中後悠平のボールがキバをむく。

プロフィール

  • 安倍昌彦

    安倍昌彦 (あべ・まさひこ)

    1955年宮城県生まれ。早大学院から早稲田大へと進み、野球部に在籍。ポジションは捕手。また大学3年から母校・早大学院の監督を務めた。大学卒業後は会社務めの傍ら、野球観戦に没頭。その後、『野球小僧』(白夜書房)の人気企画「流しのブルペンキャッチャー」として、ドラフト候補たちの球を受け、体験談を綴っている。

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