【プロ野球】ソフトバンク三軍に、将来有望な逸材たちがゴロゴロいた! (3ページ目)

  • 安倍昌彦●文 text by Abe Masahiko
  • 繁昌良司●写真 photo by Hanjo Ryoji

 その横でロングティーを繰り返していた185センチ、106キロの巨漢が、場外に打球を放り込んだ。背番号126、2年目の中原大樹(19歳/鹿児島城西高)だ。コーチがポンと上げてくれるボールを渾身の力でねじり切れんばかりに振り抜けば、ボールだってたまったもんじゃない。乾いた打球音を上げて、100メートル先のレフト後方のネットにあっという間に突き刺さる。

 そんな飛ばし屋の中原を手取り足取り教えていたのが、あの「怪童」中西太だった。飛ばない粗製ボールの1950年代に通算本塁打244本、本塁打王5回。日本プロ野球史に燦然(さんぜん)と輝くスラッガーだ。入団2年目に推定飛距離160メートルの場外弾を放った稀代のホームランバッターが、まだ二軍の公式戦すら出場していない19歳の育成選手を指導している。

 右足に体重がかかったまま力任せに振り回そうとする中原を、なんとか左足に体重を移動させて振れるように、何度も何度も教え諭(さと)す。うまくバランスがとれたスイングができるとポンと頭をたたいて祝福する。御年78歳。この熱血指導ぶりに心から頭が下がる思いだ。

 ブルペンに移動すると、5人が並んで投げていた。真ん中で投げるオーバーハンドが、さっきから盛んにミットの中に轟音(ごうおん)を響かせている。なかば「インドア」のブルペンは捕球音が響きやすい構造なのだが、それを割り引いても破壊力抜群の音だ。

 柔らかく腕の振れるオーバーハンド。剛腕・新垣渚復活かなと思ったら、背番号128だったから驚いた。育成2年目・千賀滉大(せんが・こうだい/18歳/愛知・蒲郡高)。ルーキーイヤーだった昨季、すでに150キロに達したと小川史三軍監督が教えてくれた。

 あまりいいボールが続くから、一緒に投げている左右の4人が自分のピッチングに集中できない。「ドッカーン」と聞こえるほどの捕球音が轟(とどろ)くたび、千賀の姿に彼らの視線がチラッと走るのは、若者らしい羨望、嫉妬、それとも闘志。

 翌日、その千賀が紅白戦に抜擢された。

 紅白どちらも一軍選手ばかり。口から胃袋が出てきそうな、あの緊張感をきっと味わっているだろうな……なんて思っていたのだが、とんでもなかった。

 小久保裕紀、松田宣浩、城所龍磨といったバリバリの一軍相手にストレートは149キロに達し、スライダーは「一軍のバット」をことごとくかいくぐった。

3 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る