【プロ野球】岡田彰布×石山建一「伸びる選手はここが違う!」 (4ページ目)

  • スポルティーバ●構成 text by Sportiva
  • 益田佑一●写真 photo by Masuda Yuichi

―― それともうひとつ、「4番は最初から4番」ということも言われていました。

岡田 4番というのは、誰にでもつとまるポジションではありません。6番、7番を打っている打者を、調子がいいからといって4番に上げてもダメなんです。逆に、4番の調子が悪いからといって6番や7番に下げてもダメ。打順が下がったからといって、相手ピッチャーの攻め方は4番の時と同じですから。打順で攻め方を変えてくるわけじゃない。

石山 そういう意味では、岡田も最初から4番でした。岡田のバッティングをはじめて見たのは大学のセレクションを兼ねた練習会だったのですが、リストの柔らかさを見て、これはすごいバッターになると確信しましたね。打球がひとりだけ違っていた。

岡田 僕らの高校時代は、ちょうど木製バットから金属バットに変わった時期で、最後の1年だけ金属だったんです。だから木製バットに対して違和感はありませんでした。

石山 それに僕が岡田を4番にすると決めたもうひとつの理由は、1年の軽井沢合宿なんです。1年生の岡田に対して、いろんな先輩がノックを打つんです。おそらく500本以上は受けたと思います。普通なら立っているものつらいのに、何も言わずサッとグラウンド整備をするんです。これを見たときに、この体力と精神力があれば4番を任せられると思ったんです。

―― 岡田監督の才能を石山さんが見抜いたように、岡田監督が選手を見るときにどのようなところに注目していますか。

岡田 技術的なことはもちろんだけど、どこの学校出身というのは気にするようになりました。特にアマチュアの選手は、どんな指導者に教わってきたか、どれだけ厳しい環境の中でやってきたか、そういうことが意外と大事だったりします。無名の学校で、お山の大将みたいな感じで育ってきた選手がたまにいますけど、プロに入って苦労する選手が多いような気がしますね。

石山 自分のレベルがどのあたりなのかを知らないと厳しいだろうね。岡田なんかも大学時代は江川(卓)や鹿取(義隆)らと対戦して、プロのレベルというのをある程度わかったと思う。

岡田 僕も石山さんから、プロでやっていくための技術を教えてもらいました。身近にそうした指導者やライバルがいたこともラッキーでした。それに北陽高や早稲田大は部員数も多く、生き残るのに大変でしたからね。そのように厳しい競争の中で生きてきたということも、いま思えば大きな財産になっていたと思いますね。当時は大変でしたけど(笑)。

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