大谷と菊池メジャー初対決で明暗。高校は同じも似て非なる育成だった (4ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Getty Images

 大谷はこんな話をしていた。

「雄星さんが高校時代に地元にいて、全国で活躍して、プロにドラフト1位で指名されて注目されたことはすごく衝撃的でしたし、こんな人が身近にいるんだなと思いながら、僕も頑張ればそうなれるんじゃないかという思いは強かったと思います。僕が雄星さんを見て、できるんじゃないかなという可能性を持てたことはよかったと思いますし、もし雄星さんがいなかったらそういうふうになれたのかなと思うところもあるので、そういう人が岩手にいたのは僕のなかではすごく大きかったと思います」

 ア・リーグ西地区のライバルチームのピッチャーとバッターであり、ともに岩手出身、花巻東高校の先輩、後輩対決──もちろんその通りなのだが、イメージとして近いのは、兄と弟なのではないかと思う。同じ監督に育てられたふたりの関係は、"兄弟"対決と捉えたほうがわかりやすい。花巻東の佐々木監督がこんな話をしていたことがある。

「私は雄星のような選手は岩手からは二度と出てこないと思っていました。あんなにすごい選手が岩手から出てくるわけがないだろうと思っていたからです。それが、雄星が卒業した途端、大谷が入ってきた。雄星が最初で最後じゃなかったんです。だから私は、大谷を育てるにあたって雄星の時の経験を参考書として使わせてもらいました。

 私は雄星をうまく育ててあげられなかったと思うところがあって、それは参考書がなかったからだと思います。でも大谷の時には、雄星を育てた時の参考書があって、私が雄星を通じて得たものを大谷に伝えることができました。雄星には申し訳ないと思いますが、エスカレーターでトンと行かせるんじゃなくて、階段できちっと育てていかなきゃいけないということを大谷の時に意識できたのは、雄星のおかげなんです」

 大谷が入学してきた時、佐々木監督は大谷の目標を「160キロ」に設定した。もうひとつの目標、「プロ8球団からの1位指名」も、6球団から1位で指名された菊池を超えるところに目標を設定しなければ菊池の域にも達しない、という佐々木監督なりの大谷への叱咤だった。そして大谷自身は目標を掲げる時、160キロではなく、あえて「163キロ」と書いた。その理由を彼はのちにこう説明している。

「期待は応えるものではなく、超えるものですから」

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