ファン、雄星、翔平、プロ野球へ。イチローから現役最後のメッセージ (7ページ目)

  • スポルティーバ●文 text by Sportiva
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

―― 先程、引退を決めたのがキャンプ終盤というお話があったのですが、そこにいたる以前にも、たとえば"引退"の二文字がご自身のなかで浮かんで、悩んだ時期とかはあったのでしょうか。

「引退というより、クビになるんじゃないかというのはいつもありましたね。ニューヨークに行ってからは、毎日そんな感じです。ニューヨーク、マイアミもそうでしたけど。ニューヨークって、みなさんご存知かどうかわからないですけど、特殊な場所です。マイアミもまた違った意味で特殊な場所です。毎日そんなメンタリティーで過ごしていたんですね。クビになる時は、まさにその時だろうと。そんなのはしょっちゅうありました」

―― 日本のファンにとっては特別な日になりましたけど、アメリカで19年プレーされて、アメリカのファンへ思いやメッセージはありますか。

「アメリカのファンの方々は、最初はまあ厳しかったですよ。最初の2001年のキャンプなんかは、『日本に帰れ』ってしょっちゅう言われましたよ。だけど、結果を残したあとの敬意というのは、言葉ではなくて、行動で示した時の敬意の示し方は、その迫力はあるなという印象ですよね。だから、なかなか入れてもらえないんですけど、入れてもらったあと、認めてもらったあとはすごく近くなるというような印象で、がっちり関係ができあがる。シアトルのファンとはそれができたような......ニューヨークというのは、厳しいところでしたが、やれば、どこよりも、どのエリアの人たちよりも熱い思いがある。マイアミというのは、ラテンの文化が強い印象で、その圧はそれほどないんですけど、でも結果を残さなかったら絶対に人は来てくれない。でもやっぱり、最後にシアトルのユニフォームを着て、もうセーフコフィールド(現在T−モバイルパーク)ではなくなってしまいましたけど、姿をお見せできなくて、それは申し訳ない思いがあります」

―― イチロー選手は24時間を野球のために使ってきたとご自身でおっしゃいますけど、そのイチローさんを支えてきたのは弓子夫人だと思います。これだけたくさんの方がいるなかで、イチローさんを支え続けた弓子さんへの言葉を聞くのは野暮かなと思うのですが、あえて今日は聞かせていただきたいのですが。

「いやぁ、頑張ってくれましたね。一番頑張ってくれたと思います。僕、ホームの時はゲーム前に妻が握ってくれたおにぎりを食べるんです。その数が2800個ぐらいだったんですよ。3000個はいきたかったみたいですね。そこは3000個を握らせてあげたかったなと思います。僕はゆっくりする気はないですけど、妻にはゆっくりしてもらいたいと思っています。それと(愛犬の)一弓(いっきゅう)ですね。現在、17歳と7カ月。今年で18歳になろうかという柴犬なんですけど。さすがにおじいちゃんになってきて、毎日フラフラなんですけど、懸命に生きているんですよね。その姿を見てたら、『オレ頑張らなきゃ』って。ジョークとかではなくて、それは本当に思いました。懸命に生きる姿。2001年に生まれて、2002年にシアトルの我が家に来たんですけど、まさか僕が現役を終えるときまで一緒に過ごせるとは思っていなかったので、これは大変感慨深いですね。妻と一弓には、感謝の思いしかないですね」

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