イチロー、日米通算4368安打へ。「次の1本への執念」は変わらない (3ページ目)

  • 小西慶三●文 text by Konishi Keizo
  • 小池義弘●写真 photo by Koike Yoshihiro

 時間にして2、3分だっただろうか。あの光景は先述の「打てば打つほど、分かってくればくるほどバッティングは難しくなる」の言葉と同じくらい、筆者にとって強いインパクトがあった。

 この前日、イチローはオークランド・コロシアムでのアスレチックス戦のデーゲームでメジャー通算2000本安打を達成していた。通算1402試合目での到達は20世紀以降で2番目の速さだ。

メジャーデビュー年の4月、日本からやってきた右翼手にコインやアイスキャンデーを投げつけた敵地外野席のファンが温かい拍手で快挙を称えていた。「ここのファンが祝福してくれたのはちょっと感慨深いものがありますね」と会見で彼は和やかに話したが、余韻に浸ったのはきっと試合後の数分だけだったのだろう。

 イチローの体内に宿る「感覚」は、他人にはうかがい知れない。だが彼はその非常に繊細で、丹念に世話しなければ死んでしまう「感覚」といつも真正面から向き合い、対話をしている。「感覚」は他人からの褒め言葉や自己記録、名声や高額報酬などを餌にしないかわり、ただその日、その日で身勝手に違う量、違う種類の餌を気ままに欲する。2000安打達成の翌日の素振りは、まさにその対話の瞬間だったと思う。

 イチローにとっての継続とは何か。集中するとはどのような状態を指すのか。そして自分の感覚に正直でいるとはどういう意味か。彼が何より大切にする準備の要点が、2000本達成の翌日の単独練習に凝縮されていると感じた。

【4000の喜び、8000の悔しさ】

 イチローは渡米数年前からヒット1本の価値を強く意識していた。いや、意識していたというよりも、意識せざるをえなかったとする方が妥当だろう。ヒットを積み重ねることで敵バッテリーの対策は増え、ファンや同僚たちからの期待は重圧となってのしかかった。

打者は基本的に相手の配球に受け身であり、その挑戦をはねのけ続けるしかない。結局いかに思い通りにいかないことが起こっても、なぜそうなったかを自分なりに突き詰め、客観的に対処することしか打開の道はなかった。その繰り返しに耐え続けた者が、次の1本を打つ資格を手にする。

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