大粒の涙とともに封印した想い。菊池雄星の「覚醒」はメジャーになる (2ページ目)

  • 佐々木亨●文 text by Sasaki Toru
  • photo by Kyodo News

 その苦しみを乗り越え、菊池が飛躍のきっかけを掴みかけたのはプロ4年目の2013年シーズンだ。その年は開幕からローテーションを守り、前半戦だけで3年目までの通算勝利数(1年目=0勝、2年目=4勝、3年目=4勝)を上回る9勝を挙げた。

 そのピッチングを見て、あるプロ野球の解説者はこう言った。

「今シーズンは体の強さ、とくに下半身の強さを感じます。昨年まで調子が悪い時は上半身だけで投げていた印象ですが、今年はしっかりと下半身を使って投げている。下半身がしっかりしたことでリリースが安定し、変化球も安定している。また、以前から腕の振りは良かったんですが、今シーズンはその腕の振りに対して体がしっかりとついてきている感じがします」

 3年目までとは違うピッチングに"覚醒"や"開花"といった言葉を用いて菊池の変化を表現する人も少なくなかった。だが一方で、違う見方があったのも事実だ。花巻東高校時代の恩師である佐々木洋監督は、こんな言葉を残している。

「プロ4年目のピッチングを、私は"開花"だとは思っていません。もともと持っていたもの(力)が出た。あるいは"戻った"という感じではないでしょうか」

 佐々木監督の言葉を借りれば、「失敗をプラスに変えられる男」、それが菊池だ。目の前に立ちはだかる山が大きければ大きいほど、「越えてやろう」と闘争心に火がつく。

 また、究極の「負けず嫌い」と佐々木監督は言うのだ。それらの要素も加速して、菊池は西武の不動のエースへと上り詰めていく。7年目には自身初の2ケタ勝利となる12勝をマーク。8年目には16勝で最多勝を獲得し、9年目となる昨年は14勝を挙げた。

 そして──菊池は、一度は封印したメジャー挑戦の扉を開いたのだ。

「日本ですべてを出し尽くしたい」

 高校時代にそう語った菊池だったが、思い通りの9年間ではなかったかもしれない。メジャー挑戦までに要した時間は決して短くなかった。それでも、ようやく思い続けてきたメジャーの舞台にたどり着いた。

「すべて」を出す場所は日本からアメリカへ。菊池の野球人生──それはまだまだ道半ばである。

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