カープの元助っ人が世界一に貢献。「背番号70」に込めた日本への想い (2ページ目)

  • ブラッド・レフトン●文 text by Brad Lefton
  • photo by Getty Images

 人気があるとは言いがたい番号にもかかわらず、ブレイシアはこの「70」を手放すつもりはないと明かした。

「今まで自分の背番号を気にしたことは一度もなかったのですが、2年続けて70番をつけ、しかもそのうち1年はワールドシリーズ制覇ですからね。この背番号でこれからもいこうと思います。70番を背負っていると、日本でプレーしたことも思い出させてくれますしね」

 カープ時代のブレイシアは一軍と二軍を行ったり来たりで、一軍での登板は26試合にとどまった。それでも日本での経験はすごく意味があったとブレイシアは言う。

「望んでいたような成績を残せませんでしたが、日本で過ごした時間はとても有意義でした。二軍で取り組んだことは、今年の成功に絶対に役立っていると思います。カープに入団した時、数年間滞在する予定でしたが、結果的にそうはなりませんでした。もちろん、カープが私を呼び戻さなかったことはとても残念でしたが、今となってはよかったと言うしかありません」

 ブレイシアが世界一メンバーになるまでの道のりは長く険しかった。

 2007年にロサンゼルス・エンゼルスから6巡目でドラフトされた。大学で捕手から投手に転身して間もない時だった。2013年にメジャーデビューを果たしたが、7イニングを投げただけで解雇されてしまった。その後、オークランド・アスレチックスと契約したが、結局メジャーでの登板はなかった。

 90マイル半ば(150キロ前後)のストレートがブレイシアの武器だったが、その一方でコントロールに不安があった。日本では、とくに制球力の強化に努め、カープからリリースされたことに失望したが、自信を持ってアメリカに戻ってきたと言う。

 とはいえ、広島からたった1年でリリースされたブレイシアとすんなり契約するチームなどあるはずがなかった。それでも日本でレベルアップしたことを見てほしいと、ブレイシアはメジャー全30球団にメールや電話で連絡を取った。アリゾナでトライアウトを行なうと伝えたが、ほとんどの球団が興味を示さなかった。

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