メジャーデビュー「大谷翔平レベルの衝撃」は、これまでにあったのか? (2ページ目)

  • 福島良一●解説 analysis by Fukushima Yoshikazu
  • photo by AFLO

 その8連勝の内容を見ると、デビュー時の衝撃がよくわかります。8試合のうち7試合で完投し、しかも5試合が完封勝利。並み居るスラッガーに臆することなく凡打の山を築き、なんと防御率0.50という無敵のピッチングを披露しました。

 ずんぐりむっくりな体格、茶目っ気たっぷりの動作、そして英語がほとんど話せないなど、さまざまな魅力も重なって、バレンズエラの人気は沸騰します。特に地元ロサンゼルスはメキシコ系住民が多いので、熱狂的なファンが生まれて「フェルナンドマニア」という愛称で呼ばれました。このときの盛り上がり方は、まさに今年の大谷選手と非常に似ています。

 日本でも当時、その大フィーバーぶりが雑誌などで取り上げられていました。バレンズエラのことを「怪童」や「メキシコの金太郎」と紹介されていたのを覚えています。

 その年はストライキの影響で2ヵ月間もシーズンが中断したにもかかわらず、最終的に13勝7敗・防御率2.48、メジャー最多の180奪三振をマークしました。また、プレーオフでも2勝を挙げ、ワールドシリーズでもニューヨーク・ヤンキース相手に完投勝利。ドジャース世界一の原動力となり、史上初となる新人王とサイ・ヤング賞のダブル受賞という快挙を成し遂げました。

 そのバレンズエラの衝撃から14年後、同じドジャースから野茂英雄投手がメジャーデビューします。その活躍ぶりはみなさんご存知だと思いますが、個人的に一番驚いたのは、全米のどこの空港に行っても必ず野茂投手のグッズが売っていたことです。いくら人気が全国区になっても、アメリカは広いのでショップでは地元チームの選手のグッズしか取り扱っていないのが当然なのに、それを見たときは本当にびっくりしました。

 次に衝撃デビューで思い出す選手といえば、1984年のドワイト・グッデンです。高校時代から剛速球で名を馳せていたグッデンは、1982年のドラフト1巡目・全体5位でニューヨーク・メッツに入団しました。その周囲の期待に応えるように、1983年にはマイナーのシングルAで191イニングを投げて300奪三振をマーク。圧巻の数字にメジャー関係者も度肝を抜かれました。

2 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る