来日した元メジャー助っ人たちは、現地でどんな評判だったのか? (2ページ目)

  • 福島良一●解説 analysis by Fukushima Yoshikazu  photo by Kyodo News

 しかし一方で、ギャレットは三振が多く、2010年から5年連続で100個以上の三振を喫していました。また、左ピッチャーにも弱く、昨年はレフティ相手にわずか打率.130。速球に強い反面、チェンジアップなどの緩い変化球に対応仕切れていないことが多かったので、巨人ではどこまで改善しているのか注目したいと思っています。

 次に紹介したいのは、中日期待のキューバ人長距離砲として来日してきたダヤン・ビシエドです。2008年にキューバから亡命したビシエドは、その年のオフにシカゴ・ホワイトソックスと4年総額1000万ドル(約11億2600万円)で契約し、アメリカで大きな話題となりました。当時はチームの主砲であるポール・コネルコの後継者と期待されていたのです。

 実際、ビシエドはホワイトソックスで5年間プレーし、通算66本塁打をマーク。2012年には自己最多の25本塁打をマークし、レフトのレギュラーとしてチームの主軸に成長しました。身長185センチ・体重108キロという巨漢タイプのビシエドは、その見た目からホワイトソックスの有名な球団専属アナウンサー、ケン・ハレルソンに「ザ・タンク」というニックネームで呼ばれ、一躍人気者となったのです。

 ビシエドの最大の持ち味は、メジャー屈指と言われるバットのスイングスピードで、左右どちらのスタンドにもボールを放り込めるパワーを持っています。しかし、どんなボール球にも手を出してしまいがちで、早打ちが最大の欠点と言えるでしょう。その悪球打ちは、メジャー史上最高の「バッドボールヒッター」と言われているブラディミール・ゲレーロ(2004年ア・リーグMVP)と比較されるほどでした。

2 / 6

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る