渡辺俊介、メジャー挑戦中。変則型ピッチャーは成功できる? (2ページ目)

  • 福島良一●解説 analysis by Fukushima Yoshikazu photo by AFLO

 ただ、そのルール改正によって変則型ピッチャーが絶滅したわけではありません。1950年代から1970年代にかけてリリーフとして活躍したテッド・アバーナシー(ワシントン・セネタースなど/1955年~1972年)というピッチャーは、メジャー14年間で通算148セーブを記録。肩を壊してアンダースローに転向したことが功を奏し、ナ・リーグのセーブ王に2度輝きました。

 その後、有名になった変則型ピッチャーは、サイドスローのケント・テカルビー(ピッツバーグ・パイレーツなど/1974年~1989年)でしょう。メジャー16年間で通算1050試合に登板し、リリーフとして通算184セーブをマーク。1979年にパイレーツが世界一に輝いたときの抑えのエースです。また、1978年と1979年の2年間で合計185試合に登板するなど、リリーフでありながら計269イニング3分の2も投げた鉄腕でした。

 そのテカルビーを追うように変則スタイルでブレイクしたのが、ダン・クイゼンベリー(カンザスシティ・ロイヤルズなど/1979年~1990年)です。1983年に当時のメジャー記録となる45セーブをマークし、翌1984年も44セーブを挙げて、史上初の「2年連続40セーブ以上」を樹立。1985年にはロイヤルズを初の世界一に導きました。メジャー12年間で通算244セーブを挙げたクイゼンベリーは、「史上最高のサブマリン投手」と称されています。

 また、クイゼンベリーが活躍した同じ時期に、もうひとり特筆すべき変則型ピッチャーといえば、サイドスローのデニス・エカーズリーでしょう(オークランド・アスレチックスなど/1975年~1998年)。2度のセーブ王に輝き、1992年にはサイ・ヤング賞を受賞。歴代6位となる通算390セーブを挙げて2004年に殿堂入りを果たし、翌2005年には背番号「43」がアスレチックスの永久欠番となりました。

 1990年代以降になると、記憶に新しいピッチャーも多いかと思います。まずは、サイドとアンダーの中間から投げるスタイルが特徴的だったマーク・アイクホーン(1982年~1996年)。1992年と1993年にトロント・ブルージェイズがワールドシリーズを2連覇したときの中継ぎ投手です。また、5年前に引退したチャド・ブラッドフォード(1998年~2009年)は196センチの長身を折り込むようにして投げるアンダースローで、シカゴ・ホワイトソックスやアスレチックスで中継ぎとして活躍しました。

 そして、メジャーでも珍しい「左のアンダースロー」だったのが、デトロイト・タイガース時代に2年連続で最多登板を記録したマイク・マイヤーズ(1995年~2007年)です。2000年の日米野球には、コロラド・ロッキーズの一員として来日しています。あと、2006年のWBCで対戦し、2011年には楽天でも1年間プレイした韓国出身のキム・ビョンヒョン(MLB歴は1999年~2007年)も記憶に残る変則型ピッチャーのひとりでしょう。2001年にアリゾナ・ダイヤモンドバックスが史上最速となる球団創設4年目で世界一に輝いたときのクローザーです。アンダースローから時速150キロを超える剛速球を投げ、「コリアン・サブマリン」と呼ばれました。

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